「宮辻薬東宮」のMSX的な謎に挑む(2017/11/05、11/15一部修正)


2017年6月に刊行された「宮辻薬東宮(みや・つじ・やく・とう・ぐう)」という本を御存知でしょうか。
知らない?
まあ仕方がありません。
基本的なところからご紹介しましょう。

この本、作家5人がリレー形式で書き継いだミステリーという体裁の小説です。
それだけでも割と珍しいと言えますが、今回取り上げるのはそこではありません。

本作にはMSX的に見逃せない要素が満載なのです。
満載と言っても全編MSX尽くしではありません。
そんな本があったらたぶん編集者の頭がヘンに違いありません。あくまで、当書の一部にMSX描写が存在しているのです。
具体的には5人目、すなわち最後の「宮内悠介」氏のパートにそれはあります。

さて、著者の宮内悠介氏について軽く説明を。
1979年生まれの、2010年に出た「盤上の夜」で作家として一躍注目されます。
その後は「ヨハネスブルグの天使たち(2013年)」の後、「エクソダス症候群(2015年)」「アメリカ最後の実験(2016年)」「彼女がエスパーだったころ(2016年)」「スペース金融道(2016年)」「月と太陽の盤(2016年)」「カブールの園(2017年)」「あとは野となれ大和撫子(2017年)」と、2015年以降に単行本が出るペースが増しています。
日本SF大賞とか、三島由紀夫賞とかを受賞されておりますが、そのへんはWikipediaの項目でも読んでもらえればいいでしょう。

さて当研究所的に大事なこと。
そう、宮内氏はMSXユーザーなのです。
割と多くのインタビューを受けられているのですが、MSXにだけ焦点を当てた記事がコチラ。

米国育ちの神プログラマー? 日本SF大賞作家のMSX愛がスゴい!:MSX30周年

これは4年前、2013年のインタビューです。時期的には「ヨハネスブルグの天使たち」が出た後ですね。
実は宮内氏、これ以前にも何度もインタビューを受けられているのですが、MSXの話を振ってるのにインタビュアーにスルーされまくっていたのです。

例:『bestseller's interview 第48回 宮内悠介さん』(中盤に一度だけMSX発言があるが話が続いてない)

かような状況に嘆きを感じて行われたのが、MSX30周年特集のインタビューだと言えます。
ちなみに宮内氏はMSX的にもかなりテクニカルなプログラマー寄りの方で、話題の内容があまりに濃くなりすぎて後半は人類の大半には理解不能だと判断されてカットせざるを得なかったのですが、読者から結構な苦情が来たそうです。あなた方は作家という職業に何を期待しているのですか。

話を戻しましょう。
宮内氏はこの2013年のインタビューの時点で、作品内にMSXを一切出していませんでした。

それはそうです。普通に考えてMSXが出てくる必然性がありません。
しかしそれから時は流れて2017年。「宮内氏、動く」というニュースがMSX界を駆け巡りました。

SFマガジン2017年4月号。


そこに掲載された短編「エターナル・レガシー」の冒頭の一文がこれです。

俺か。俺はZ80だ

SF史とMSX史に残る衝撃の書き出しです。
Z80は言わずと知れた、全てのMSXに搭載されたCPUの名称です。

そんなZ80を名乗る男が突然主人公の前に現れるところから始まるこの短編小説は、たぶん世界で一番Z80と書かれた小説ではないでしょうか。ページあたり2〜3回は出てきます。
MSXについても触れられているのですが、Z80オジサンは主人公がMSXを知らないことに対して怒ります。なんとまた迷惑な人でしょう。所長としては若干主人公の方に同情しました。
さらに謎なのが主人公の彼女たる「サユリ」で、Z80オジサンに対して「だいたい何、Z80って。乗算もできない分際で」と言い放ちます。サユリさん、ちょっとZ80に詳しすぎませんか。あとここを書いている宮内センセイは確実にMSXturboRのR800が念頭にあったと推察されます。なんたってR800には乗算命令があるのです。この後に「せめてR800くらい名乗りなさい」と書きたかったのではないか、さすがにそれはギリギリで踏みとどまったのではないか、そんな心の声が聞こえてくるような気がします。

「エターナル・レガシー」に次いでMSXが登場する作品として書かれたのが「宮辻薬東宮」に収録された「夢・を・殺す」です。
5人の人気作家が連作する最後にMSXがふんだんに出てくるという、それだけ聞くと心配にしかならないような事実を申し添えておきます。

とはいえやはりプロの作家、MSXが分からなくてもどうにかなるような作りになっています。
大筋としては、主人公が自身の従兄弟とエンジニアとして働く話が主体となります。MSXは主人公と従兄弟の方との思い出として語られており、従兄弟の人が高いソフト・ハード技術を持っていたことが分かれば細かい部分は分からずとも問題ありません。

そんな「夢・を・殺す」は基本的にフィクションなのですが、ここに盛り込まれたMSXの描写だけは極めて正確かつリアルでして、宮内氏の各種インタビューを見ていくと限りなくノンフィクションに近いらしいことが伺えます。MSX的に驚きの描写をいくつか見ていきましょう。

(p.198)
「それはそうだ。ぼくにプログラミングを教えてくれたのも、小五の春に、MSXと呼ばれる8ビットのコンピュータを買ってもらえるよう口添えしてくれたのも。彼なのだから」(所長注:彼=従兄弟の人)
「MSXのOSはほかのコンピュータと互換性があるからと、同級生の女の子と交換日記をやっていたりもするのは、あこがれを通り越して、羨ましい」
(所長注:ここで交換日記をやっているのは、従兄弟の人のほう)

MSXとの出会いや互換性を丁寧に説明するこの気概!
いやがおうにも不安が高まります(MSX的に)。

(p.199)
「『スプライトの扱いが上手いね』
 妖精(スプライト)というのは、MSXの映像用のプロセッサに搭載されている機能で、文字通り妖精のように、背景にキャラクタを重ね合わせて表示することができる」
「『このBGM、どうやってるの?』
 わかってくれた。
 BGMが流れるのは、今回の自慢の一つだ。
 (中略)
 『時間ごとに一つの命令で済むよう、作曲の方を工夫した』

MSXのVDPを「映像用のプロセッサ」と言い換えてスプライトの解説を始めるわ、BGMを鳴らすために音楽ドライバを組むのではなく「ON INTERVAL GOSUB」とPLAY文の嵐でどうにかするテクニックを分かりやすく説明しようとしています!気分はもうBASICピクニック(雑誌「MSX・FAN」のBASIC解説記事)です!

ON INTERVAL GOSUBでBGMを鳴らすのは結構大変な話でして、PLAY文で指定する楽譜(MML)は長い文字列を与えると解釈のために音楽以外の動作が完全に止まってしまうんですね。そこを読み切ってある程度短くMMLを揃えるのは大変な話なのです。従兄弟の人が感心するのも分かりますね!

しかし「夢・を・殺す」でさらに凄いのが少し先の215ページから。
なんと従兄弟の人と主人公がMSXの同人ソフトを作ってデュプリケイト(フロッピーディスクのコピー)をして、さらに売る過程が描かれているのです。

(p.215)
「一言にコピーと言っても、当時は大変だ。手持ちのコンピュータにディスクの挿しこみ口は一つしかなく、さらには記憶領域が小さいため、コピー元とコピー先のディスクを幾度も出し入れしなければならない。」

分かりますでしょうか、この緻密な説明。MSXでフロッピーディスクのコピーをした人なら誰もが通る道、デュプリ地獄です。MSX(2/2+)はメインRAM64KBとVRAM128KBしかなく、フロッピーディスクの1枚713KBをコピーするにはどうしても複数回の入れ替えが必要です。よくあったのはVRAMをバッファにするやつで、ディスク1枚に6回の入れ替えが必須でした。もちろん、たいへんに面倒な上に入れ間違えると最初からやり直しでした。当時ディスクドライブを2台積むというのは他のパソコンではごく普通でしたが、MSXではお金持ちにのみ許される贅沢だったのです。というか、そんな金あったら他のパソコン買ってましたね。さらに続きますが、ここが最大の問題です。

(p.215)
そこで従兄弟が思いついた方法があった。
まずマスターとなるデータをROMカートリッジにしてしまう。あとは、カートリッジから情報を吸い出しながら、挿しっぱなしにしたディスクにデータを転送する。これなら、ディスクの出し入れは一回で済む。

私はこれを見たとき息を飲みました。ミステリ的に息を飲むシーンではないのですが、MSX的には衝撃の描写です。「同人ソフトのデュプリのためにROMカートリッジを作ってしまった人」というのは聞いたことがありません。
さて、先程も書きましたがMSXのディスクは1枚713KB、RAMは頑張っても192KB。この差を完全に埋めるだけにROMでカートリッジを作るのは当時では金銭的に割に合いません。というか、それこそMSX用の増設フロッピードライブを買えてしまう額になります。
推測ですが、この同人ソフトはディスクの容量をいっぱいには使っておらず、1回ではコピーしきれないわずかな差をカートリッジ側にデータとして持たせたのだと思われます。
恐らくは、ゲームカートリッジの内のROMチップを外し(これだけでも結構大変)、必要最小限のSRAMを載せたものを作り、バッファとする……というのが現実的なところです。残念ながら、小説の描写からはそこまで読み取ることは不可能でした。作中でも、従兄弟の人のやっていることを完全には理解できていない旨が主人公の印象として書かれています。
しかしデュプリのためにハードと、恐らくデュプリ用のソフトまで書いてしまったというのは、古の雑誌「バックアップ活用法」的な解決法ですね。凄いと言わざるを得ません。

ちなみに、さりげなく「カセット」ではなく「カートリッジ」となっている点も、MSX的に好感度が高い言い回しですね!
「カセット」はファミコン等でよく使われるのですが、MSXだとカセットテープとの混同を避けるために「カートリッジ」という言葉がよく使われます。

作中の細かいMSX描写はまだまだ盛り込まれているので、気になる方は是非書籍をお求めください。
さて、ここまで見てきて気になるのは年代設定です。

(p.215)
「ぼくは汗まみれになりながら、できたばかりのソフトを従兄弟と二人でフロッピーディスクにコピーしているところだった」
「(前略)早朝の電車で有明に向かった。もとは幕張で開催されるはずが、急遽、会場が変更となった年だった」

以上の描写から、1991年の夏コミであると推測されます。
幕張メッセが使えなくなることによる会場の変更騒ぎ、私もリアルタイムでは経験していないのですが、調べると割と記録が出てくるので、間違いないところでしょう。
ちなみにこの同人ソフト、元ネタまで詳細に書かれています。

(p.215)
「出たばかりの”F−ZERO”というゲームに触発されて作ったものだ。」

ちなみに小説では回転部分のルーチンに固定小数点演算をしているとか、分かる人が限定されすぎるネタが開陳されています。
さらに、頒価や搬入数まで書かれています。

(p.216)
「価格は五百円。」
「持って行った三十枚のディスクは、幸い完売となった。」

1991年に出たF−ZEROっぽい五百円のMSX同人ソフトには心当たりがあるのですが、調べてみると色々と作中の描写とは矛盾が見られたため(そのサークルは夏コミに参加していないらしい、等々)特定はできておりません。

しかし先程のコピー用のカートリッジのくだり、三十枚くらいだったらカートリッジを作るよりもひたすらコピーした方が早かったのでは……。いや、今後さらなる需要があると見込んだのかもしれない。であれば決して無駄ではないのです。たぶん。

他の視点として面白いのは、当時の同人ソフトの立ち位置に関する描写です。

(p.216)
「そのころ、MSXというコンピュータは末期にさしかかっていたが、」
(中略)
「趣味のゲーム作りは、だいたい二種類に大別できると思う。まず、RPGのように物語を志向するもの。それから、あのときぼくらが作ったような、技術力を競うものだ。プログラミングという点では同じでも、何に意味を見出すか、そして何に夢を見るかは人によって異なる。
 ぼくらという”機械の中の幽霊”が夢を託したのは、技術だった。」

”機械の中の幽霊”は本作「夢・を・殺す」、ひいてはこの「宮辻薬東宮」全体に関わってくる言葉であります。
そこはそれとして、全体のニュアンスとして感じられる「同人ソフト特有の、技術に傾倒するタイプの人種」を、こんな感じで描写されたのは珍しいことだと思います。
昔の同人ソフトあるある、とでも言いましょうか。
今はハードの性能が伸びたのであまり言われなくなりましたが、昔は、ことに性能の低いMSXにおいては、ハードの限界まで使い倒すというのは一種のロマンであったのですよ。

さて、最後に気になったここをご紹介しておきましょう。

(p.227)
(前略)いまはすっかり見なくなった、3・5インチのフロッピーディスクだった。ラベルに、子供の字で”HIDDEN FANTASY”と書かれている。この面映ゆい題名は、僕が子供のこと作っていた大作RPGのなりそこね、作りかけたまま放置されたゲームだった。」

かつてのMSXユーザー、特にプログラムをしていた方の多くには経験があるでしょう。
大作を目指して作り始めたものの、途中で放置されてフロッピーディスクのラベルに大作っぽいにタイトルだけ残るという現象!
所長も覚えがあります!ありますよ!
ちなみに、作りかけのやつをパソコン通信で配布したらいつの間にか海外に行ってて、スペインからMSXのゲームを買った時に「作者の方ですか?」とメールで聞かれるという死ぬほど恥ずかしい思い出もありますよ!(→詳細。一番下が該当個所)

さて、この”HIDDEN FANTASY”…。いかにもな題名が妙に子供の作ったものっぽくてリアルですが、恐らくは実在した、あるいはするのでしょう。未公開のまま、作者の手元には今でもそのまんまあったりするのかもしれません。
実は小説としてはここで題名まで出す意味はあんまりないと思うんですが、これもMSXユーザーの多くは分かるんじゃないでしょうか。

ある種の供養なのです。

生まれてくることのなかった自作のソフトがあったことを、どこかに留めておきたかったのかもしれません。ていうかホラ、本になってれば長く残るし、国会図書館とかにも入るし。
そんな死んだ子の歳を数えるようなことをしても仕方がない、そう思う方もいるでしょう。
しかしそういうことをせずにはいられない、というのもまた人のサガなのです。たぶん。

このあたりでしょうもない邪推は止めておきましょう。すればするほど自分のココロの闇を見つめてしまいそうです。MSXをお持ちの方は、どうかほどほどに…。

と、いうわけで最後に購入ガイドをば。
困ったことにどっちも電子版がありません。
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そらそうと、個人的には表紙のロゴデザインの以下の部分がMSXっぽくてよいと思います。

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