2002年12月23日ヒューストン・クロニクル誌
ウォーケン演技の内側にある真実の姿byブルース・ウェストブルック
クリストファー・ウォーケンは、自殺願望にとりつかれた狂気の演技で脚光を浴びて以来、そのイメージが固まってしまった俳優である。しかし、その後数多くの映画に出演し、様々な役柄に挑戦し59歳を迎えたウォーケンは、単に観客をぞっとさせる俳優だという以上のウォーケン印とも言うべき独特の演技を確立した稀有な俳優と言えよう。
それに加えて、彼は非常に臆病な男でもある。
「僕はなんでも慎重にやるのが好きなんだ」と「アニー・ホール」で対向車につっこみたいという自殺願望を持つダイアン・キートンの兄を演じ、その直後の1978年にも「ディア・ハンター」でロシアン・ルーレットに獲り付かれるベトナム兵を演じてアカデミー賞助演賞を獲得したウォーケンは語る。
「絶対必要な時以外は車の運転もしないし、運転してもスピードを出したことはないんだ」と生まれながらのニューヨーカーであるウォーケンは言う。「それに今でも警官を見ると怖くてドキドキするし、法律を破るなんてもってのほかなんだ。それは50年代に育った人間の特徴でね、その頃は警察のバッジや制服がものすごく権威があったし、いわゆる権力が幅をきかせた時代だったからね」
最新作「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」では、文字通り、この制服への憧れが物語りの骨子をなしているのだ。ウォーケンの役は、10代で崩壊しかかった家を飛び出し、何百万ドルもの偽小切手を偽造しながら、航空会社のパイロット、外科医、弁護士と身分を偽って詐欺を働いていた実在の犯罪者フランク・アバグネール・ジュニア、の父親である。
「僕自身は落ちない様な小切手を書いた事は一度もない。引越しする時の規制を冒したりした事もない。とにかく何事にも神経質な程、細心の注意を払う方なんだ。家にでじっとているのが好きだし、馬にだって一度も乗ったことがないんだ」
勿論映画の役とあれば嫌いなことにも挑戦するのはやぶさかではない。西部劇調の「天国の門」や「スリーピー・ホロウ」では勿論彼の乗馬姿がおがめる。
「そういう映画の時は、僕はただ馬の背にまたがるだけなんだ。走らせたり、何か他の芸当をさせなきゃいけない場合は他の人間がやってくれるから」とウォーケンは笑いながら語る。
「僕は心底臆病ものなんだよ。バイクに乗るなんて狂気の沙汰だと思ってるし。誰かが僕の誕生日にスカイダイブをしないかと誘ったことがあって、僕はそいつに言ったよ。「あんた頭は確かか?」て」
だから「007美しき獲物たち」や「キング・オブ・ニューヨーク」での悪玉はあくまでも彼の仮の姿で、本当のウォーケンはどちらかといえば1999年の「昨日からの」で演じた60年代の父親像や、1981年のMGM最後のミュージカル「ペニー・フロム・ヘブン」での役柄の方が近いと覚えておいた方がいいだろう。
「もし30年早く生まれていたら、もっともっと沢山のミュージカル映画に出ていただろうな」と映画界に入る前は舞台で歌ったり、踊ったりしていたウォーケンは残念そうに語る但し彼は今でも全ての映画で少しだけダンスの場面を入れ込むことを習慣にしている。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」では、アバグネール・シニアとその奥さんの華麗なダンスの一こまが見られるはずだ。
「ダンスの場面は最初から予定に入っている訳じゃないんだ。でも僕はいつでも何とか映画の一場面にもぐりこませている。またウォーケンは、俳優と詐欺師というのもどこか一脈通じるものがあると言う。
「役者も詐欺師と一緒で、観客には演じている役柄が真実だと信じてもらわなければならない。まぁ詐欺というのは一寸強すぎるし、芸術というのも大げさすぎるけど、でもそれが俳優という仕事だと思うんだ。誰かに扮して演じること。観客を説得すること。それは被害者に対する詐欺師のやりかたと全く同じことなんだよ」
ウォーケンはまた違った方法で「説得」するのを得意としていて、特にコメディの分野ではその才能が発揮されている。彼は「サタディ・ナイト・ライブ」で5回も司会を務めたという数少ない俳優の一人であり、その中では物腰も柔らかに、様々な趣向をこらして女性を誘惑しようとする、50年代の人気TVショー番組にヒントを得た"コンチネンタル"と言う役柄を楽しそうに演じている。
それでも、まだウォーケンを全く理解せず、中には演じる役柄と混同して彼自身を悪玉と信じている観客が大勢いるのも事実なのだ。ある日ウォーケンがイタリアのさびれた田舎町を散歩していた時、彼を「バットマン」の敵役だと目ざとくみつけた少年がウォーケンに向って"マックス!"と叫んで逃げて行った事があったと言う。
「映画の中だけなのにね」とウォーケンは肩をすくめる。
嬉しい事には60年代を舞台にした「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」でウォーケンが演じるのは、もっと好ましい人物で、しかも成長するにつれて次第に似てきたという自分自身の父親とそっくりの姿であった。
「セットで鏡を見たとき、親父を見ている様な気持ちがしたよ」とウォーケンは言う。「親父もこの役柄と全く同じオーバーを着て、帽子をかぶっていたんだ。あのころの男達は、四六時中ネクタイをして帽子をかぶっていたからね」
ウォーケン自身は父親になった事がない。しかし彼は妻のジョージアンと33年間も結婚生活を維持している。その理由の一旦にはジョージアンが女優ではないことを挙げるが、もっと単純に「僕達は今でも愛し合っている。100%ぴったりの相手と出会う夫婦もあるんだよ」とウォーケンは分析している。
映画の中の息子であるアバグネイル・ジュニア役のレオナルド・ディカプリオは、ウォーケン
を実際の父親と同様に尊敬して、従っている様だったが、ウォーケン自身は『タイタニック』以来信じられない位の世界的人気を集めているスターとしてのディカプリオに同情に近い保護者的感情を抱いていると言う。
「本当に信じられない位の人気なんだ、エルヴィス級のね」「僕自身はそんな状態に打ち克つ必要は無かったけど、突然人気者になるって事には落とし穴も沢山あるのを知ってるよ」
「正直に言って、僕が映画界にデビューにした頃は彼みたいに演技が上手くなかった。ディカプリオは少年の頃から天才的に上手かったね。逆に遅咲きの自分にとって映画に出るって事は、同時に自意識も強くなると同意語だった」
「僕はまるで女の子の様に綺麗な顔だったんだ。だからデビュー当時はすごいナルシストだったと思う。幸運なことに何とかそんな自分を克服することが出来たけどね。その頃はきっと映画スターになりたくてたまらなかったんだと思う。その頃から役者を目指していれば今よりずっと良い位置にいたかもしれないけどね」
どうやら彼の目指す道は達成された様だ。ウォーケンは今でも車のスピードが怖いかもしれないが、映画界のスピード街道を駆け抜け、批評家や一般観客から高い評価を受けた数々の味のある役柄を演じてきた。「僕は今の自分にとても満足している」『トランプを例にとれば人はだれでも与えられた持ち手の中で勝負をしなくてはならないんだ。勝つか負けるかはそのゲームをどの様にプレイするかにかかっている。僕は自分に配られた持ち手のなかで、かなり良い勝負をしてきたと自分を評価してるんだよ』 The End
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"METROPOLートンの兄を演じ、その直後の1978年にも「ディア・ハンター」でロシアン・ルーレットに獲り付かれるベトナム兵を演じてアカデミー賞助演賞を獲得したウォーケンは語る。
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2002年12月23日ヒューストン・クロニクル誌
by あいちゃん