(オーソドックス)グランド・キャバレー

昭和40年頃が全盛期であった大型社交場で、ナイトクラブ(この違いは後記)とも呼ばれた。
残念?ながら、私の年代より前の時代であり、また、その時代を過ごしたとしても金銭的・時間的な余裕がなかったが、青春の一時期、銀座の高級ナイトクラブの美術部門にてアルバイトをした。

多感な青春時期に銀座の夜の世界をかいま見た経験は忘れることはないだろう。

時代の変貌とともに消えたグランド・キャバレーであるが、語り継がれることなく、歴史の微塵にも残らないのも寂しい限りである。

私は回顧趣味はないほうだと思うが、このような形態の店があったことをまとめてみたかった。

1、グランド・キャバレーとは

多種多様でピンキリな世界でもあるが、私なりに定義すると次のようである。

・ショーを見ながら、飲食、ホステス(社交さん、ダンサー)と会話、ダンスをするところ。
・ステージがあり、生バンド(ハコバン、ハウスバンド)が常駐している。
・2〜3回ショータイムがあり、ゲスト歌手、ダンシング・レビュー、曲芸などが行われる。
(キャバレーの格は、このショーの内容により決まる)
・ダンスホールがあり、ホステスの多くはダンスができる。
・店は大型で広いスペースを持ち、ホステスは少なくとも百名以上が常駐している。
(ショー出演者の高額ギャラをペイするのにも大勢の客を入れる必要がある)
・料理も専門コックが腕をふるった。
・ナイトクラブと呼ぶ違いは、私なりに言うと、女性を同伴しても違和感がない/特にショーに力を入れ全体に高級な店
(つまり客は高額を支払う)店をナイトクラブという。

福富太郎さん(ハリウッド経営で有名な方)が執筆された本を見ると、キャバレーとは風俗営業法に規程されており、

踊る場所があり(規程された面積以上ないと認められない)、加えて、明るさや、立った人から店内を見渡せる
(つまりいかがわしい行為はできない)など厳しい条件があるという。

ピンサロ(ピンクサロン)、アルサロ(アルバイトサロン)などとは全く異なる「情緒ある大人の社交場」なのだが、
ピンク系と同義語として誤解されているのは残念である。

2、銀座の高級ナイトクラブとの出会い

私は美大生だったころ、学園紛争の残り火がくすぶり、入学式は取り止め、休校(自宅学習)も多く、もともと学費は自分で稼ぐつもりで進んだので、これ幸いとアルバイトにあけくれていた。

浜松町にある小さなデザイン事務所でのデザインアシスタントを皮切りに、四谷の教育図書出版社にて編集補助を行っていた。
出版社は編集多忙期のみの契約なので終了にともない、次のアルバイト先を探していたら新聞の求人広告に銀座の観光会社が「美術部部員」の募集が目にとまった。

観光会社の美術とは何をするのか分からないが、経歴書を送ったら面接通知がきた。
デザイン事務所や出版社での実務経験が認められたことと、若いゆえ色に染まってないと思われたのだろうか。

面接の時、観光会社でも夜の観光、すなわち、銀座に(複数ある)キャバレーを経営する会社と初めて知った。
いままで無縁の世界だったので一瞬驚いたが、店のパンフレットを見せられて興味がでてきた。
そのパンフレットには有名な歌手(例:ナットキングコールの弟のアイクコール(マンダムのCMソング「男の世界」をカバーなど)が歌うショーや、豪華な内装が掲載されていた。

とにかく学費を稼ぐために二つ返事で働くことにした。

銀座7丁目、松坂屋の裏にあるビルに本社があり、出社すると、グラフィックデザイナー、舞台・建築設計者、ショー・芸能デレクター、カメラマンなどを紹介された。
皆が毎日出社しているわけではないが、キャバレー会社が、このような専門家をかかえていることに驚いた。


3、ショーを売り物にしたナイトクラブ

企画担当の方に、まず連れていったもらったのが銀座で一番という電通どおりにあったにナイトクラブ「クラウン」であった。
何が一番かと言うとまずショーの中身で、海外から来日した大物のアクロバット・曲芸・マジック、ダンシングレビューなど。
テレビ局が毎週1回録画にして東京ぼんたの司会で放送をしていたほどだ。
銀座の高級ナイトクラブは「クラウン」と双璧を作ったのが「モンテカルロ」であった。

ショーの内容によりスペースが変わる可動式のステージ、天井から歌手が降りてくる仕掛けなど全て初めて見るものだった。
銀座で一番というこは、客が払う金額も一番だったのだろう。

いつか客として、このような店にきてみたいと思ったが、数年後には閉鎖された。

ショーを売り物にしている高級ナイトクラブといえば、赤坂にあった「ニューラテンクォータ」である。
力道山の刺傷事件があったことでも有名であるが、過去にナットキングコール、プラターズ、シルビーバルタン、パティーページなど数えたらきりがないほど大物が出演していた。

しかし、1970年代に入ると大物シンガーはギャラの高騰もあり、200名程度の客を前に歌うより、大収容のコンサートホールでの出演が主流となり、ナイトクラブでの出演はなくなってきた。
客のほうも(自腹でなく接待費で落とすにしても)1回のショーを見るために(いまの金額で)数十万円を払う人は少なくなった。

1970年は、吹き荒れた学園紛争、日米安保闘争などが終わり、大阪万博に象徴されるように天下泰平、無感動・無気力時代への幕開けでもあった。

高額所得層もエンターティメントに対する意欲が変化し、ナイトクラブへの期待度も低くなったきたといえる。

銀座クラウンも同様であり、大物歌手よりアクロバット・曲芸などへ変化していったころである。
大型キャバレー、ナイトクラブは斜陽産業とも実感した。
大人の社交場がなくなる。これは残念なことだと思った。

4、会社組織としてのキャバレー

キャバレー、ナイトクラブは水商売のひとつである。たぶん風のごとき人達の短期間経営と勝手に思いきや、数十年の継続性を持ち、規律を重視した会社組織であった。
(いまでも、大変に失礼な偏見を持っていたと反省している)

従業員は全て正社員であり勤続年数も多い。
長く勤められる理由のひとつに"真面目に一生懸命働けば上にいかれる"がある。
例えば現場(店)のボーイさん、見習いで入ってから、ボーイ長、フロア長と進み、高級ナイトクラブの支配人まで上り詰めた人も実在した。

規律は厳しかった。特に現場(店)において遅刻は厳禁でありクビの宣告もあったとか。

5、デザインの質を求められた仕事

キャバレー、ナイトクラブの形態などは、その道を専門に歩まれた方々にお任せして、私の仕事は

・ショーの内容、スケジュールを書いたパネルポスター(B1サイズ程度)を手書きで作成する
1週間毎に内容が変わる。経営するキャバレーは都内に3〜5店あり、1店につき1〜2枚仕上げる。
もちろんパソコンなどない時代なので、文字は筆を用いて手書き(レタリングという)
芸能プロから支給される写真をトリミングしてレイアウトする

・ショーの内容、スケジュールを掲載したDMをデザインし、印刷業者にまわす
1ヶ月間毎に内容が変わる。これは2〜3店、それぞれ趣が異なる雰囲気で作成する。

いまだったらパソコンとプリンタがあれば誰にでも、そこそこのポスターなど容易にできるかもしれない。
また、マーカー(マジックインキなど)の手書きで済む場合もあるかもしれない。

しかし、ここは銀座、その中の、自他とも認める高級ナイトクラブである。
いいかげんな素人くさいポスターは容赦なくボツにされた。

写真は芸能プロから支給されるのだが、ある期間、店の専属歌手となる場合、
その歌手の 良いカットがない場合は、 プロのカメラマンを呼んで撮影もした。


6、終焉。銀座クラウンの閉店

1979年(昭和54年)12月に、四半世紀の歴史を閉じた。
銀座外堀通りの有名店、ニクソンも副大統領時代に来店、昭和40年代前半には銀座の名物だったキャバレー(ナイトクラブ)の灯が消えた。


第一次オイルショック(1973年)ごろから客の減少が目立ち、第二次オイルショック(1978,1979年)には、ホステスも80人になっていたそうだ。(オイルショック前は200人程度はいたとか)

オイルショック、経済混乱、不況・・・これらが歴史あるキャバレーの灯を消したのか・・・・。それは違うと思う。

ひとつはエンターティメントを楽しむ変化。歌、演奏、ショーなどを好きな者は、チケットを買い、コンサート会場などで楽しむことが普通であり、高額な飲食代を払って見るという嗜好そのものが時代の変化とともに消えていった。

客の世代交代もある。第一次オイルショックというと、団塊の世代が社会人となった時期である。
この世代は、ある意味で合理性に富み、例えば、踊りといえばディスコに行って、適当に体を揺らせば良いという簡易性も好む。

女性と気の利いた会話を金を払ってまで楽しむことは心にもない。 気軽な彼女との会話を好む世代であり、男女交際も多様化してきた。

オイルショック・経済不況よりの前、1969年春、東大入試中止・挫折という雨が降り、1970大阪万博開催・ことなかれ時代へ。
このあたりから、エンターティメントの価値観が大きく変わったと思う。


団塊の世代が大量の社会人となった時期、性のはけ口として栄えたのが、ピンクサロンなどの登場でもある。
ピンサロとキャバレーは全く異なるものだが、同義語化されていったのは非常に残念なところである。

そして、なによりも「大人の社交場」が消えていったのは寂しい限りである。



(続)


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