事故時はうそのない情報で勝負する
外部発表だけを考えれば、「事故調査をさせる」感覚になりますが、当事者には事故最中の対応が最も求められています。事故拡大を防ぎ、情報を集約しながら、従業員の二次災害も防ぎつつ、本社やマスコミ、官庁への報告をしてゆかなければなりません。場合によっては消防署や警察署の要請で、社内の能力のある人物が事故対策から隔離されることもしばしばです。
事故最中の事故調査は社内のあらゆる立場の人にオープンでなされるべきです。一部の人々に調査権限を与え、一部の経営層だけしか知らない報告をつくれば、必ず事実とは異なる経営層を守る責任回避のための報告しか出来上がりません。そして、その雰囲気はマスコミにキャッチされますから激しい追及に企業が置かれることになります。
所轄官庁は立ち入り調査権をもちますから、責任回避型の報告では赦してもらえません。必ず、ずるずると新しい結果が判明してゆくことになります。それも、経営層に都合のわるい内容のものがマスコミに判明することになります。
オープンになり始めれば、隠すということが不可能になります。因果関係が科学的に再現できる世界での事故ですから、ウソをついても科学的に簡単に反証されてしまいます。結果としては責任をとって辞任ということでしか治まらなくなってしまいます。事故は覆い隠すことが一番傷口を拡大する最悪の対処方法ということが出来ます。
事故対策本部長は多くの場合、事故発生部門長がその任務につくことになるでしょう。なぜならば、他からきた人間には従業員のほうがなかなか正直な情報を提供しないからです。従業員は考課権のある人物しか、「正直に報告せよ」と指示したときに動かせないのです。
実際の事故最中の動きの例
私の先輩が工場長(ある工場のトップ)のときに行っていた事故時の行動を紹介しておきたいと思います。これは特別のやり方ではなく、お医者さんが大きな手術をする前に全員を集めて意志を集約しオペの方法と手順を徹底する方法と全く同じです。
事故対策本部を置く場所は、現場の情報が取得しやすい場所に近い、現場の人たちも含めた全員が入れる大広間にします。
中央に事故対策本部長が座ります。すぐ横に、ノートへ報告事項を記録する有能な人物が配置されます。また反対の横には、各部門へ指令を飛ばす役割の人物を配置します。
本部長の後ろには記録や説明用に大型の白板が3〜4面配置されます。さらに、みんなが見える場所にパソコンから直接映写できるプロジェクターとスクリーンが配置されます。これらは常備されていますし、他のディスカッションでも良く使われているものです。
白板の一面には、本部から現場に向かった人が自分で行く場所と帰ってきたかどうかを記入します。事故によっては現場へ視察にいったまま倒れてしまうということもありうるから、全員が今どこでどのような作業に従事しているか記入するのです。戻ってきた人は本部長に報告をします。
このときの報告は、時系列に時刻を記入しながら報告どおりに白板に記録されてゆきます。だから、部屋に入った人はすべてこの情報に触れることが出来ますし、自分は何をすべきかを考えたり判断することが出来ます。記録は本人が書いたり、本部長のそばにいる人が書いたり臨機応変に行います。
白板のひとつは報告する本人がイラストで全員に説明する場所です。本部長が納得できるまで、絵を書きながらやり取りして聞くわけです。すべての人はこれを聞き、疑問があれば質問できます。また、対応策にアイデアがあれば発言することが出来ます。
やりとりのあと必ず、本部長からの指示が飛びます。その指示は白板に経時的な記録事項として書き込まれてゆきます。白板にはコピー機能がついていて次々に変わってゆくイラストを記録してゆきます。
報告の合間に、記録係がイラストを清書してゆきます。
現場にいる必要のある人以外は、事故対策本部に詰めておくのが原則です。必ず椅子に座るように要求されます。その意味は事故時には何人かが浮き足立つと、全員が浮き足立ってしまうからです。本部長への報告も座って報告してかまいません。入ってきた人に取り立てて説明は行われませんが、全員が白板の経時的な記録と目の前で行われる報告を聞いていますから、全員がよく事態を把握しています。あたらしいことに気づいた人が飛び出していって確認してくるのです。あるいは、帰宅した検査員や管理職などが気づいた人から呼び出されます。事故時には一家団欒していようが、大事なデート中であろうがお構い無しです。
これには、従業員の意識教育がこめられています。
事故発生場所のトップは事故の重大さを十分認識できます。しかし経営者や従業員はマスコミが大騒ぎするまでは、さほど事態の重要性を認識しないものです。
自分達の生活基盤の危機に際しては何よりも優先して参加するべきだという、つよい信念があるのです。一部の真面目なやつだけがやる事故対応なら、参加しなかった人物は責任からも逃げることが出来ます。デートのあとに所帯を持てば生活基盤はやはり会社です。
事故対策本部に全員が詰めることには他の意味があります。それは、事故品の範囲が確定したら、直ちに全員が倉庫や外部の倉庫に出向いて、出荷停止と、回収活動を行うのです。副工場長でも作業員として行動します。範囲が確定しない場合は、事故の程度に応じて安全を見込んだ範囲で広く出荷停止をかけておきます。二次災害の防止は全員が取り組むのです。
その場に参加している人たちには、一体感が生じ、深夜にわたっても帰宅せずに事故対応に協力してもらえます。当然食事の手配を人事部門がします。
恒久対策は、部長クラスや係長クラスまでが参加して、予算措置を含めた案が作られます。ほとんどが参加しているので、経過説明には長い時間は必要ありません。
記録係は、本部長の指示を貰いながら、刻々と変化する情報を本社に流しつづけます。本社は経営層への報告と外部広報に追われています。しかし情報は事故現場にしかありません。本社との間でも、まだあやふやなすべての情報を流すというようなことは行われません。間違いのない情報がFAXされ、推測やみとおしの場合は電話で情報が行き交います。本社の動きは本部長へと報告されます。
本社側が外部報告するような、ある段階になるとかなり詳しい報告を要求してきますから、記録係一人ではとてもまとめきれません。目の前に座っている人々の中から報告作成要員が組織化されて、本社報告が作成されてゆきます。これはプロジェクター上でやり取りしながら行われます。必要な現場データは現場の人しかすぐにはとりだせないのです。現場の人々にも見られたくない微妙な数値などは、印刷した紙でやり取りが行われます。
こうした作業は事務系の人のほうがなれています。さらに広報部門や人事部門は事務系の人がパイプを握っています。だから事務系の人々も始めから広間に詰めて本社とのやり取りの窓口役を務めます。
本社報告をまとめていく段階で、多くの抜け落ちた事項や疑問点が浮上してきます。その場で現場や試験の人たちに意見が求められて、必要な写真やイラスト類が集められます。本社報告の最終の取りまとめは報告作成者と本部長、本社窓口だけの極秘会議となります。参加者の余計な憶測を引き起こさないためです。多くの中間層はその間の事故対応全体を守ってゆきます。
事故現場が、ウソの見通しや悲観的な見通し、楽観的な見通しをすれば本社側はそれに応じて外部発表の対応の仕方が大きくぶれる結果になります。たとえば、現場側が、責任回避のために、「私が来たときにはもうどうしようもありませんでした」と言えば、本社は致命的な事故で回復見通しがないと受け止めがちです。いきおい、本社の広報内容は事実がわかってしまったときのことを恐れて、被害を誇大に表現してしまいがちです。「事故はほとんど終息してきています」と言えば、本社のほうは必要な情報とそうでない情報をより分けて報道しようとするでしょう。現場の報告にウソがあれば悲惨です。関係者全員が社会からの反発にあって辞任することになるでしょう。
こそこそ反社会的な指示をすれば、不二家のように内部告発を受けてしまいます。現場の事故対策本部が秘密裏に行われれば、悲惨な結果になりがちです。事故の真っ只中で、短時間で現実の事故対応も情報収集も記録も、各方面への報告書作成もやってゆくには多くの人々が動かないと出来ませんから、内部的にはオープンに行うしかやる方法はないのです。