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(おまけ) はじめての起承転結− 文章づくりの基礎講座 

 

私の世代は、文章作成についてきちんと教えてもらった経験がありません。小学生のとき手塚治虫の漫画作成のコツを漫画の付録で読みました。そこには「面白い漫画は起承転結で作られている」というようなことが書いてありました。よく意味がわからないまま、漫画を書くことをあきらめました。

成長の過程で、文章のストーリーは起承転結とか序破急であるという文章に何度も出くわしました。説明もなんだかよくわからないままに、作家もあきらめました。
   ところが研究論文を書き出してしばらくしたら、こうしたことがすっきり理解出来るようになりました。

文章で情報を伝達する方法は意外とシンプルで、理系文系の違いなどはなく、やはり起承転結でした。これが、あらゆる文章作成の基礎です。

<文章作成の公式>

 

     

  • 文章作成とは、研究論文、小説、講演内容を問わず、ことばによって情報伝達する作業である。情報伝達には共通のコア(核)がある。

  • 情報伝達のコアは起承転結である
    起:Introduction 話し手と聞き手の「話の場」設定 
    承:Subject Area 話し手の「絞り込んだ領域」の情報提供
    転:New Fact   「新事実」の導入
    結:Discussion  新事実を入れて考えると「あっと驚く結末」
  • 講演や、本作成、雑誌用の報文作成では、コアの前後に次の項目が付加される
    最初に付加: 文章のタイトル − 作成者名 − 経緯と要旨、または目次
    後ろに付加: 呼びかけ − 礼(謝辞) − 根拠資料
    
    

  • ストーリーとシナリオの違い
    ストーリー: 起承転結のこと
    シナリオ : ストーリー軸 + 5W1H軸 の二軸構成
    企画書  : ストーリー軸 + 5W1H軸 + 経営の4M軸

 

 基礎1 論文や総説、講演の骨格比較

次の表は、小説やシナリオなどを除いた、一般にいう硬い内容の情報伝達がどのように起承転結に分けられるかを示したものです。
  小説を書きたい人も、ここで起承転結の意味の基礎を学んでいただければきっと今後のストーリー作りに役に立つでしょう。

起承転結では、意味がよく読み取れないので、英語表現の意味で理解してゆきましょう。このページでは著者や講演者を「あなた」、読者や聴衆を「読者」とくくって話します。

講演・報告内容の比較

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起 Introduction

 

正確な情報伝達のためには、あなたと読者はまず共通の土俵の中に入ることが必要です。何の世界の話をしているのか、まず大まかな共通世界を読者との間で作ります。
   通常ですと、話し手のほうがそのことに関しては多くの知識があることがふつうですから、背景説明を行うことから話が始まります。

では、お互いの常識の世界を共有します。すなわち、話す分野の設定をします。

 

起であるからといって、重要でないということではありません。起はこれから話す分野を示すためのものですが、次から説明してゆくことに聴衆あるいは読者に興味を持ってもらわなければなりません。
たとえば、次の二つのやり方はどちらも起です。聴衆の反応はどうでしょうか?

  1. パワーポイントの文字タイトルを示し「これから地球温暖化の話をします」と言う
  2. 氷河の崩落する動画を見せながら「地球は今とても困難な状況にあります」と言う
起では読者に強い興味を抱かせる「つかみ」といわれる提起の仕方をよくします。サスペンスで典型的なのは死体をころがすといった物語のはじめ方です。また、いろいろな情報伝達の手段に「前ふり」といわれる部分があります。受け手との間に、大まかな分野設定をしますから前ふりは立派な「起」です。

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承 Subject Area

一般論だけでは話が続きません。あなたが話したい領域 Subject Area を決め、相手が理解するのに必要だと思われる、その領域のより詳しい情報をわかりやすく説明します。

はあなたが興味を持ち「これは絶対面白いよ」という領域の情報提供です。

ここでは語り手であるあなたがふつうの人よりはより詳しく知っている既知の情報を相手に伝えます。相手が次の転 New Fact で理解できるまでに必要十分な情報を与えておくのです。

この中で仮説が提示され、みんながどうやるんだろうという気持ちにさせて解決への方法を説明します。どんな結果になるかなとか本当にそううまくいくかな、など期待感が盛り上がります。謎解きをする人も出てきます。興味の持続を図ります。

小説なら、小さい事件(エピソード)を通じて、主人公や登場人物の個性を際立たせてゆきます。転で起こるクライマックスと結で示す種明かしにたいして、「なるほど!」とか「よかったぁ♪」というカタルシスを生み出す下準備をします。

承でおこるエピソードを脚色するときに、すべてがクライマックスを盛り上げてゆく仕掛けとなっているとよい話になります。危険な奴と思わせておいて起こるエピソードと、人物像がはっきりしない常識人から始まるエピソードでは同じ展開でもハラハラ度が変わってきます。エピソードのハラハラ度は後半にかけて大きくしてゆくのが常道です。

最後にうんと明るい印象をとろうとして、承でおきるエピソードは暗いものばかり続けると疲れてしまって読者の心が離れていってしまいます。登場人物には明るい(あるいは笑える)キャラクターをいれておく理由がここにあります。

エピソードの役割は単にクライマックスの盛り上げ役ではありません。たとえばサスペンスであっても、「家族の絆の深さ」を書きたければ、承であるエピソードの中に盛り込んでゆくことになります。エピソードと転での家族のおもわぬ反応で人のやさしさや絆を際立たせてゆけば、サスペンス作品であっても読後には人のぬくもりを感じさせる感動的な作品となってゆきます。

匠と呼ばれる職人がよい作品を作るには多くの下準備の工程を必要とします。同じようによい承が下準備されていなければ、作品の仕上がりは雑なものになってしまいます。

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転 New Fact

新事実とは、研究の場合は全くこれまでに無かった新しい知見のことを言います。

小説などの場合は現実の枠をとりはらった既知の情報の新しい組み合わせを言います。起で作った常識世界と転で起こることのギャップがあればあるほどおもしろい話となります。
信頼していた登場人物の裏切りと主人公の最大のピンチなど、承で積み上げてきた人間関係を絶体絶命の最大の緊張関係に持ち込みます。

実験にしろ冒険にしろ、実施したことによって、あっとおどろくことが生じます。新事実の発生です。読者は考え方がまとまらないために宙ぶらりんとなり、どうまとめるのだろうと気になってしかたありません。

あたりまえの常識的事実あるいはその組み合わせであれば、研究では研究発表の価値がありませんし発表すればブーイングの嵐間違いなしです。小説ならわくわく感のない、売れないものになります。

転は、研究論文作成では、日本語では結果と訳されています。新たな事実の提示である Result(s) に当たります。通常の文章作成では新展開にあたります。起承転結の結とは違いますのでこの章を注意して読み取ってください。

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結 Discussion

問題は解決に向かいます。「さっすがー」という感嘆の声があがるようなすっきりした解釈で幕が下ります。皆が気づかなかったけれど説明されれば「なるほど!」というオチであることが大事です。

だらだらした、説明の羅列では何がいいたいかわからなくなり、読者の知的好奇心を満足できないばかりか、不満すら引き起こします。一貫して、この結末のカタルシスが得られるように文脈ができている状態が起承転結です。

小説などの場合には情緒の醸成が目的ですから、論理の厳密さはさほど要求されません。もっぱら最後のカタルシスを得られるためだけにもっと自由な展開が可能となります。
  長時間、不快にならない状態で興味が持続できるなら、なんでもありです。最後は転結で終わらないと、尻切れトンボ、宙ぶらりんというような評価を受けることとなります。

ただし明るい結末や、ボロボロになった主人公が希望をもって再生していく予感などでさっと締めくくります。たとえ現実が暗く解決の見込みがない場合でも、人々に希望や明るさをもたらすのが小説家の役割です。

研究者なら新課題の解決への道筋を展望すべきです。

結は、研究論文作成では、日本語では考察と訳されていて、Discussionにあたります。起承転結の結だから結果だと考えてはいけません。日本では結果と結論、ならびに考察にあたる result 、 discussion および conclusion がいかにあいまいに判断されているかがわかりますね。結は事実の提示ではなく、カタルシスのあるすっきりした説明で、考察あるいは結末のことす。

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 基礎2 まず研究論文の形式を学ぼう

 

§  事例で起承転結を説明します

実際の文章で起承転結をどのように考えればよいか説明します。皆さんもよくご存知のももたろうの話です。

起: 分野は昔話
昔、あるところにおじいさんとおばあさんがすんでいたと。
承: 絞り込んだ情報提供
おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川にいって洗濯をしておった。
そのころはな、村の娘さんが、鬼たちにさらわれて、みんな難儀しておったと。
転: 新事実の付加でものがたりは展開
あるとき、おばあさんがな、川で洗濯をしておるとな、おおきな桃がどんぶらこと流れてきたそうな。
おじいさんとおばあさんが桃をたべようとしたらば、中から男の童(わらし)が生まれてきてな。
おじいさんとおばあさんは童に、ももたろうと名をつけて、大切に育てとった。
ももたろうが、いい若衆になったらば、こう言ったと。
「おじいさん、おばあさん、悪い鬼たちを成敗してきます」
結: カタルシスのある結果
ももたろうは、鬼が島へいって、家来のサル・キジ・犬たちと一緒にさんざん鬼をこらしめてな。 娘さんたちを連れ帰って、おじいさんとおばあさんに宝をいっぱい持ってきたそうな。めでたし。
こうした基本のストーリーができたら、あとは話を膨らませ、脚色して、作者の求める雰囲気に物語を洗練させてゆきます。

ももたろうの話では、きび団子をつかって、サル・キジ・イヌとの交流と仲間づくり、鬼との戦いのリアルな活劇など、わくわくする語りを入れてゆくわけです。 臨場感や、情感などは、このような脚色の世界で得られます。

起承転結は物語の骨格です。つまらないストーリーでも、よいシナリオライターがいれば読み応えのある脚色をしてくれますから、そこそこ読むことのできる話には仕上がります。 しかし、よい起承転結でないと十分なカタルシスは得られません。 歴史に残ってゆくよい話とは、よい起承転結とよい脚色能力がかみ合ったときに生まれます。

長編の物語では起承転結の中に、小さい起承転結をいれて繰り返しながら話が進みます。 また、話の内容のなかで「承」におくべき情報提供の一部も、話が長くなると忘れてしまうために、話のつながる「転」の中のふさわしい場所に移したりとあれこれ処理を加えます。

ところで、あなたの日常の中でこんなことはありませんか?

あなたは友人たちと喫茶店でだべっています。
「あの映画どうだった?」ときかれて、上手に起承転結の順番でストーリーを話せる友人がいます。また、起こったことを面白おかしく話せる人がいます。

「そうそうそう・・・。思わぬ鉢合わせってあるよね〜」
「こないださ、スタバでみんなでお茶してたのね。先生の頭があやしいって。先生の髪の毛ってさ、頭のうえのほうが異常に黒いじゃん」
「でさ、わたしが『先生ってツルの上にカラスが止まっているんじゃない』って言ったの」
「そしたらさ、目の前の子がね、笑わないで変な顔してるの」
「後ろを振り向いたら、背中向けで先生がいたのよ」
「もうびっくりして、こっちがすずめみたいにパーッてスタバから飛び出してにげちゃったよ」
その友人は、きっと作家やタレント、講談師や詐欺師としての才能がある人々です。 中でも周囲の人を「うん、うん、それで?」と引き込む力のある人がいます。 その人は脚色能力や語りの能力も高い人です。 あなたも、映画や本に触れた後、ストーリーを起承転結で要約して人に話すと、こうした能力を磨くことができます。

この文章の順序を入れ替えて、面白くなるかどうか自分でやってみてください。そうすれば起承転結が大事だなあと感じることができるでしょう。

こうした能力は天性のものではありません。語りの場を多く持つ人が、人の反応を見ながら能力を育成され、それを研ぎ澄ましてゆくものです。

 

§  小説、映画や漫画から起承転結は学びにくい

文章を書くという意味では、小説と論文は同じジャンルですが、どのようなパターンで書くかという点では異なったものになります。

  ところで、文章を書くときに小説などの書き方の本を読むと、「起承転結」とか「序破急」という言葉がでてきます。ますます混乱してきます。「起」って何?ということを知っていなければどう対処してよいかわかりません。

小説も研究論文もはじめてのタコ人が文章を書き、起承転結を理解するには、研究論文をまず学んだほうが良いと思います。その理由は、研究論文がものごとを正確に相手に伝達することに特化しているからです。
  いっぽう、小説や漫画、映画のシナリオなどは、正確な情報伝達を多少犠牲にしても、読んだり見たりし終わるまで興味を持続させることが主眼になります。楽しさや見ごたえがあったという感情を読者や観客に持ってもらわないととても商売になりません。常識と違うことをして自分のニュアンスを出そうと競い合います。

そのため、小説などのエンターテインメント性の高いものでは「承起転結」、「起承承承転結」となったり、スピルバーグのように「起承転結」が次の「起承転結」の起承となり、息もつかせないサスペンスの連続になったりします。「起承転結転結・・・」であるともいえます。
  あるいは三谷幸喜が監督したTHE 有頂天ホテルのようにいくつもの「起承転結」が同じ時間軸の中で平行して織りなしてあらわれ、歳末の人々のドタバタを表現するというようなテクニックもあります。
  サスペンス作家の森村誠一は作品「窓」で承であるエピソードのサスペンス的扱い方の典型例を示しています。そこでは一見関係のないいくつかの殺人事件がほぼ平行して発生します。それぞれ別の事件担当の刑事は何かのきっかけでその事件同士で二つの事件間で関連する人物があることに気づきます。そのことがエピソードの「転」となり事件同士のあらたな謎解きが次々に設定されてゆきます。読者はジグゾーパズルのピースがぱちぱちと組み合わさってゆくような気分でサスペンドされつづけます。二つの殺人事件の犯人が異なり、異なる動機で起こしたとしても、関係者が一人でもつながっていれば、読者の推理ははるかに複雑なものとなります。 森村氏はこうした事件の見えている側面を窓と表現したのではないでしょうか。窓から見えるものと実際に裏で起こっていることはちがうんだよと見せてくれているように思えます。

文章初心者はこうしたエンターテインメント性の高い作品から起承転結を学ぼうとすると混乱をきたしてしまいます。

どうしても、小説から起承転結を理解したいというのなら、起承転結から離れて物語を大まかなブロックに分けることからはじめるとよいと思います。それぞれのブロックがエピソードなのか、もっと小さい単位のプロットなのかを判断してから起承転結の分類をしてみましょう。

理由としては次のようなことです。

物語では承のなかでいくつかのエピソードを加えてゆきます。これは登場人物の個性を説明する小事件です。エピソードは全体ストーリーの起承転結という視点からは承にあたりますが、エピソードそのものにそのブロック内の起承転結があります。

よくある例でエピソードの中で主人公とサブキャラクターがどんな危機もともに乗り越える親友の間柄であることを示します。そうすると、転でのサブキャラクターの裏切りが「え?なぜ・・・」とよりドラマチックに感じられるようになります。 もちろんエピソードにも話の盛り上げは必要ですから小さな起承転結があります。しかしエピソードは全体のストーリーの中でよりドラマチックに感じられるように環境や人物像を伏線として表現しておくためにおかれています。エピソードは承の一部なのです。

だから小説などからの起承転結を理解しようとするならば次のようにすべきです。まず直感でエピソード単位のブロックに分けるのが先で、プロットや段落レベルにまで分けて全体のストーリーを考えないようにすることが必要になります。

 

序破急」とは起承転結と同じストーリーの順序を示したものです。人の興味を引くストーリーにするためにどのような文章量の展開がよいかという意味が含まれています。

序: (起承)話したい領域 Subject Area までの背景情報提供
破: (転) 新しい事実 New Fact の付加。常識を破れ。
急: (結) カタルシスがでる結果。そのためにはだらだら書くな

一見、起承転結が適用しにくい俳句を、序破急で考えると理解しやすいですね。

(序)古池や
(破)かわず飛び込む
(急)水の音

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§  研究論文から手をつけよう

研究論文を書いているときにでも私たちは自分の涙と苦労の結晶を認めてもらいたいという気持ちで一杯です。
  しかし研究論文は感情を排除して事実のみを書くことが求められますから、常に自分の感情を意識して取り除きながら論文を書くことが求められます。

それでも苦労したことがわかってもらえるように、事実を述べる間接的な表現を編み出したりします。研究論文を作成する作業は、決して無味乾燥な活動ではありません。自分の気持ちを見つめなおす訓練をしているのと同じです。

研究論文では、今までわかっていたこと(起承)と、新しくわかった事実(転)とを明快に分けなければいけません。結果(転)と考察(結)を明快に分離することを要求します。書こうとする内容が、文章の「起承転結」のどれに入るかということも常に意識することになります。

論文作成によって、正確に自分の感情を受け止める訓練ができると、小説を書くときの幅もできるでしょう。同時に素晴らしい転結をを思いついたら、それをより効果的にする起承をデザインすることが可能となります。
  すなわち「伏線をどこに置こう」とか「この哀しみをより強める演出には承を先にしたほうが良い」という作戦が立てられるようになります。

文章の構造を理解するという意味では論文を書く理系の人間のほうが有利です。相手にものごとを伝える能力は、平均的に高くなります。
ただ、文系には小さい頃からしゃべりがうまく、起承転結を体得していて、反射的にストーリーを組み立てる能力のある人々がいます。しゃべりの体験が多い彼らは、もちろん脚色能力も優れています。

 

研究論文と小説などとでは明確に違う部分もありますから説明しておきます。

論文作成では、次に「基礎4 相手との交流を重視しよう」で説明する「間」や「余韻」は誤解の元なので、できるだけ誤解が少なくなるように厳密に意味が特定できる文章を作成します。このため、序論、実験方法、結果、および考察とタイトルを明確に分けてきちんとした様式の中に入れて起承転結を書くようにしています。意味があいまいになる体言止めは使いません。

一方小説やシナリオなどなら、むしろ文章表現をあいまいにすることで、積極的に読者が勝手に想像できる場所を準備して、わくわくどきどきを持ちつづけられるようにします。ですから体言止めも多用されますし、その使い方が作者の魅力になったりもします。

たとえば、小説などは男女の関係を描くテーマが多いですが、Hシーンを論文形式で厳密に記載してゆけば、単なる下品なエロ小説にしかなりません。そのような表現方法は、一部のマニアは喜びますが、一般の人々は他人の目を意識して読書どころではなくなりますから、楽しむことができません。むしろ表現をあいまいにして、文脈や象徴的な環境を描くことでそれとわかる「間」をつくり、純愛から大人の関係まで書き分けてゆきます。

小説などではあいまいさの選択が優れた作者か、駄作者か分けてゆきます。 

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 基礎3 自分で書きながら、求めるジャンルの文章を学ぼう

 

文章作りは、職人や匠の世界に似ています。まず基礎を十分に勉強してからエントリーしようなどと考えている人は成長が遅いはずです。その理由は次のとおり。

気づきが始まる
気づきは、 課題を持ち興味があるから気づくのです。知識だけあればできるのなら、小学校を卒業した人は皆、著名な小説家にすぐになれるはず。

経験は課題を生む
自分の手で行うと、思いもよらないところでうまくいかなくなります。その世界では常識でも、初心者には壁になることは実際の社会では数多くあります。

良くない所が見えるようになる
たとえば、ゴルフに興味がない人が他人の打撃フォームを見てもいいか悪いか気づきもしません。上手になろうと興味を持っているひとは、細かく見ようとしますから打撃フォームの違いを見分けるようになります。

良いサイクルができます
課題をクリアすると達成感があります。次に進もうという意欲が生じ、すぐに次の課題にぶつかります。前回の課題達成の自信が前向きな取り組み姿勢をうみます。そしてまた、課題をクリアします。

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 基礎4 相手との交流を重視しよう

 

小学校1年生の教室で子供が先生に話しています。どちらの子供がより先生の心にのこるでしょうか?

Case 1子供 A先生
先生、あのね。昨日ね。ああ昨日のことなのね。
おばあちゃんが来たの。話はおばあちゃんのことか。
でね。動物園に行ったんだよ。そか、動物園で何かあったんだな。
動物園のなかでソフトクリーム食べてとてもおいしかったよ。え?動物のことより食い気の話だったか。
この子はもぅ〜っ。
Case 2子供 B先生
昨日おばあちゃんと、動物園でアイスクリーム食べたんだよ。そう。よかったね〜。

ここで考えてもらいたいのは、どちらのケースも子供は同じ内容をつたえているのに、先生の反応は全く違うということです。
子供Aは話し方に間があり、相手に確認しながら話しています。子供Bはキーワードは正確な内容ですが、相手の気持ちなどかまわずに言いたいことを一気にしゃべっています。

この例でわかるように、起承転結とは単なる事実の流れの記述方式ではないですね。起承転結は聞き手側が決めるのです。話す側は、聞き手側が起承転結を明確に意識できるように仕組むことしか出来ません。

子供Aはストーリーをもって先生にしゃべっていたのに、子供Bは単に事実の報告をしただけです。人を楽しませるにはどうしても起承転結の素養は必要です。

起で相手との共通の土俵をつくり、承で自分の言いたいことに絞り込んだ情報を伝え、転で新しい情報をいれて、最後に結で納得の行く説明をします。このとき、それぞれの段階で相手が情報を気持ちよく受け入れてくれなければ、自分がいくら起承転結で文章を書いたと主張しても、結果的に起承転結にはなりません。だから子供Bは同じことを言っていても、起承転結にはなっていなかったのです。

Case1とCase2との会話の記述方法で子供と先生の気持ちの距離を描けることに気づいてくださいね。愛のさめた夫と妻の会話を表現するには、どちらをつかう?読者は起承転結のことを勉強していなくても、その表現形式から正確に状況を判断できる能力があります。作者のほうはこのような起承転結の知識を知っていないと微妙な展開など表現できませんね。

落語などで話の間(ま)を大事にします。その意味の一つには、話にを置くことでお互いに交流が生じ、起承転結が産みだせることにあります。そのことは間によって同じ情報に魅力が付け加わることを示しています。
すなわち起承転結が成功している(ま)では、相手がかってにいろいろな感情に浸っていられるということです。単なる情報伝達ではこのようなことは起こりません。

 

相手との交流ということを考えるときの別の側面を考えてみます。

結果を重視する人々にありがちな傾向として、「一番大事なのはわかった結果である。だから結果を中心にした説明にしよう」と考えます。そのこと自体は大切な考え方です。しかし、相手がまだその重要さに気づいていなかったり、興味がない状態で「起承」をはずした場合、人々はどのように反応するとおもいますか?

興味がないテーマで、それを読まされたり聞かされたりする人々は、怒り出しがちです。「お前の成果をひけらかしたいだけならここにきた旅費と時間を返せ」というでしょう。よほど忍耐強い人でない限り、自分が必要と思えないことに拘束されることは嫌なのです。

ですから、「起承」では相手に興味を持ってもらう情報やあなたの利益になりますよという情報を入れておくことが必要なのです。
「これを読むとこんな分野でこんなことができますよ」とか「あなたのスキルがこんなに高まりますよ」といったメッセージです。

司会者が講演者の略歴を、講演前にれいれいしく紹介するのも、「この人の話は役に立つはずですよ」というメッセージの伝達の一種です。おざなりにすると、聴衆の興味はかなり分散されてしまいます。

推理小説などなら、購入する人々が初めから推理することを受け入れて購入します。ですから承起転結と順番が逆転してもむしろ喜びます。すでに、本を購入する時点で、興味を持つというところをクリアしているからです。映画やテレビでも「これからどうなるかな」などというスリルや謎解きがテーマになっていれば、イントロのあり方にはあまり問題はありません。すでに読者や視聴者とのあいだで暗黙の了解事項が成立しているからです。

しかし、プレゼンテーションや講演会などでは、起承転結の順番を変えると怒りに近い反応を受けることがあります。というより次からの参加が期待できなくなります。
目的に応じて、「本日の開催の目的、位置付け、どのようなメリットが得られるか」などの情報を最初の段階で説明することが必要です。

また、自分達の仲間内では常識となっていることにも注意が必要です。相手がはじめて接する用語や概念は自分が理解しているイラスト入りでざっと説明しておくことが必要です。「聴衆のレベルによって話を変える」という意味には、用語を平易なものにするというだけではなく、相手に合わせた転結を決めてから、起承部分の情報の変更をするという意味があります。
コンピューターネットの知識のない人々にドメインという用語をいきなり使えば怒りを買うだけです。しかも時間が経つほど説明事項の中にわからないことが増えてきて視聴者の怒りが爆発します。本なら買ってもらえないでしょう。講演会なら次からよんでもらえなくなること請け合いです。

相手により理解度や常識の範囲が異なります。話している相手のほうに、わかってもらおうとする姿勢があれば、「自分の能力がないのかな」という受け止め方もでてきます。しかし企業では責任回避のために説明会の実績を作りましたと他にアピールするだけの説明会などがよくあります。こうした場合、主催者側は質問に対する回答姿勢が「うざいなあ」という態度になってきます。
官僚がおこなう、このような「理解せずともよい。説明はした。」というやり方には日本中がうんざりした気分にひたっています。自らの気持ちのなかに相手の存在を大事にしていればこのようなことはおこりません。相手との交流が切れた状態では本でも講演会でも失敗になります。

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 基礎5 段落も起承転結で

 

§  文章の要素としての段落

 

文章内でも話のまとまりごとに段落(パラグラフ)をつくります。文章の始めに一文字文ずらすことをよく行います。インターネットだと文字ばかりでは真っ黒になり読んでくれないので、一行あけたりします。

実は論文の世界ではパラグラフ内の文章の順序も起承転結の考え方が適用されます。日本人は相手の気分はお構いなしに、「そもそも・・・」と事の発端から書こうとします。
しかし世界の論文作成の常識では、「このパラグラフ内でいいたいことはこの範囲です」という、まず相手との共通の土俵作りから書くことを要求されます。

誤った考え方が蔓延しているようですが、パラグラフの最初にそのパラグラフに記述する結論とか内容要約を記述するのではありません。起の文章がパラグラフの最初になります。「起」の文章とはこれから話す分野のテーマ紹介のことです。そこで話されるテーマはトピック・テーマとも言います。

すなわちパラグラフの書き始めに「それまで説明してきたこと」と、「これから説明することの関係はこうです」という説明が入ります。それは接続詞だけですむ場合もあります。話を明快にするには、接続詞だけでは説明が足りないのがふつうです。

世界では先に分野や目的を示さず「そもそも・・・」から書き始めるのは亜流なのです。

私たちは企画書の説明などのときにパワーポイントなどでプレゼンテーションを行います。
プレゼンテーションのページ毎の説明についても起承転結の配慮が必要です。前のページとこのページの関係や位置付けなど接続詞を上手に使いながら説明しなければなりません。

よく文章を書く人の中では、接続詞を使いすぎるのはよくないという説明をする人がいます。これは説明不足です。
接続詞を使わないなら、起承転結のの文章を入れておきなさいと説明すべきです。接続詞がなく、起の文章もないままに説明をするプレゼンテーションでは聴衆の理解が不足してしまうため最悪の結果となります。

ですから「接続詞を使いすぎるのはよくない」という言い方は間違いで、「」の説明から入りなさいと説明すべきです。「接続詞を使ってはいけない。起の文章ではじめよ」というやり方は美的世界観の説明にすぎません。

起の文章と、結の文章の判断ができずに間違えてしまう人たちがいます。著名な研究者や技術士などになってもまだ区別のついていないひとがいます。こうした人たちが起承転結は意味がないと本に書いてしまうものだから多くの人々が戸惑う形になっています。

推理小説で「死体を最初に転がせ」といいます。これから「結論を先に書くと面白い」と勘違いしている人々がいます。ミステリーで死体が転がっていたというのはあくまでも起です。結とは起承転までの情報から導かれる考察あるいは説明です。すなわち最初に死体は転がしても、それは結として真犯人をあかす理由説明ではありませんね。犯人の謎解きを行うミステリーであるのに「この殺人の真犯人は主人公の伯母であった」からはじめることはほぼ皆無ですよね。

しかし最初に犯人を示すミステリーがないわけではありません。密室犯罪でほぼ殺人犯はわかっていても、どう説明するのだろうということが結ですから、殺人者名がわかっているから結から始まっているわけでもありません。

「罪と罰」ではラスコーリニコフが最初に殺人をおかす場面から始まります。罪と罰の結は、自己中心的な理屈で人を殺した悪行に対する自己内の肯定と否定をあつかう主人公の心理的葛藤がテーマで、殺人者の謎解きが結ではないのです。ストーリーのテーマが違うから罪と罰はミステリーのジャンルには入れてありません。

単純に「殺人の死体がころがっていた = 結」と考えるところに起承転結を理解していないことが明らかになります。

起承転結の意味が理解でき基本の書き方が身につくと、次第にそれだけでは不満になって、意図的に「起」を抜いたりして読み手をサスペンドしたりと、いろいろと美的・芸術的表現を目指すようになります。しかしそういう人はどこかに起承を忍ばせていて、読者に「なるほど」とうならせるカタルシスを作ることを、決して忘れはしません。基本がちゃんと身についているからです。

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§  文章のわかりやすさとプロット

 

プロット plot とは、ストーリーの中の個々の物語要素の一つまたはつながりのことを言います。このとき欧米では、それぞれのプロットの因果関係 casuality がとても重要視されてきました。

それはちょうど、段落において起の文章が大事にされていることと同じ意味を持ちます。なぜこの文章がここにあるのかわからないとき、私達はとてもその文章が読みにくいと感じるのです。

現実の世界を書いている途中で、とつぜんに回想シーンを挿入する作者もいます。

書き始めに「あのとき・・・」といった起の文章が入っていないと、とてもわかり辛いものになります。うまい作者はこうした回想シーンの挿入である種のムードをつくりあげます。しかし起承転結の素養のない作者が回想シーンを多用すると、精神を病んだ者の作品にしか見えなくなるでしょう。

読みやすい文章とは大まかに三つの要素で達成されます。

1 短かい文章であること

主語、述語、目的語などの欠落がない。二つの文章が一つの文章の中に混じらない。
小説などでは、文章のリズムを作るために主語がわかるときには意図的に主語をはずすテクニックを使います。特に会話シーンでは多用されます。これはあくまでもテクニックで、多用しすぎると、文脈がわからない意味不明の文章になります。
「それ」「そのような」「前の・・・、後の・・・」「その人の」など文脈で特定しなければならないような代名詞や指示語をひとつの文章に2つ以上いれないこと。こうした文章が続くと、文字数は短文でも文章が長く感じられ、通常の人の気持ちは文章からはなれてしまいます。ただ、いきおいで文章を書いているときにこのような配慮をすると筆先が止まってしまうことがあります。とりあえず文章を先に作ってしまってから、読み直ししてこうした部分の表現を修正してゆきます。逆に、厳密に指示語をすべて排除した文章を作ると、読者は作者の性格を粘着質に感じてしまい、魅力のない文章という感じをもってしまいます。
coffee.gif文章を簡単にし、論旨を明快にするため、研究論文では個人の判断による抽象的な修飾語(素晴らしい・非常に大きい・効果の高い、など)を極力排除します。素晴らしいといいたいのなら、「5%の収率アップ」などと具体的な数値で記載することが原則です。
ただ研究論文ではなく、他人の研究をあれこれ取り上げて、いっけん論文風に見える「総説」などの場合にはこうした修飾語を入れて表現にインパクトを入れることがしばしば行われます。こうした修飾語で勝負する研究者を私はソムリエ的研究者といっています。研究者とソムリエ的研究者との違いは生きるフィールドが異なります。研究者は研究分野、ソムリエ的研究者は目立つマスメディア分野で勝負するのが普通です。研究者としての生き様の違いですので、どちらがいいかは決められません。企業の研究者は、研究テーマには素人の顧客にプレゼンテーションしたり、事務方に予算獲得の説明をしますから、ソムリエ的研究者の素養はどうしても必要です。
しかし、本当に研究する研究者がいなければ学問や技術の進展はありませんので、社会常識として研究者を大事にし、尊敬する文化をもっている必要があります。他国の研究を模倣してばかりいる国は2流国です。一流国であるためにはソムリエ的説明では満足せず、本当の研究論文を評価できる素養がないといけません。大学卒業者にはその素養が当然のこととして求められます。

2 プロット間に因果の連結があること

プロットの連結で、全体のストーリーが起承転結で明確に意識できること。説明しすぎると、論文には最適ですが、小説などの場合には読者には自分の中の自由な空想による感傷や感情に浸りづらくなるため、人々を楽しませる部分が狭まります。
ターゲット層に応じたそのあたりの作戦で、文章のうまい人とへたな人とが別れてきます。
しかしまったく異物のプロットがまぎれこんでいるとしか理解されない文章が中に入ると作品すべては駄作でしかありません。読者の興味が持続できなくなってしまうからです。

3 話し言葉がわかりやすい 

漢語を用いた熟語を「の」で連結する表現は、本人以外は理解しがたいものです。新しい概念の英語をカタカナで表したときも、同じ意味で理解しがたい文章となります。その世界以外の人にとっては符牒(暗号)で話しているようなものです。学があるように見せたいとか、耳慣れない言葉を駆使して相手を煙に巻きたい場合にはとても有効な方法です。
coffee.gif海外で出版された図書を日本に翻訳して、自分が最先端にいるかのごとく振舞う大学の先生達もまだ数多く残っています。まず読者は、「かならず日本にもその概念があるはずだ」という心構えをもってそうした図書や主張に接するとだまされません。わけのわからないカタカナ語に翻弄されないということは、日本の文化を知るということになります。それは自分に自信をもつことと同じ意味をもちます。

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 基礎6 「起承転結は論文に向かない」は本当?

 

§  起承転結は論文に向かないのでしょうか?

 

少し一緒に考えてみましょう。論文は序論・本論・結論と次のような話の筋でかきなさいと教えられます。

  1. 今までわかっていること
  2. 新しくでてきた事実
  3. それらを総合するとこうした新しい考え方ができる

これを、起承転結で説明すると次のようになります。

  1. (起承)今までわかっていること
  2. (転) 新しくでてきた事実
  3. (結) それらを総合するとこうした新しい考え方ができる

これだけでわかるとおり、起承転結は、話の筋そのものであり、ストーリーです。起承転結を批判する人はこのような話の筋を作ることを否定しています。
ですから、起承転結は論文に向かないという主張は、論文に話の筋はとおっていなくてもよいと主張していることになります。

論文の構成要件のひとつには、「新規性」が求められます。この部分を否定してしまったらテーマを否定するようなものです。

論文だけでなく、小説の分野でも、他人のストーリーのただ乗り小説を書くだけでよいなら、起承転結不要論を唱えていてよいでしょう。しかし、自分だけのオリジナルを書きたいのなら、どうしても新規性のある転の部分を意識する必要があります。

起承転結を漢詩の概念であり、特別のものだと考えるとどうしてもこうした混乱が生じます。「転はドラマチックな部分」とだけ言葉で考えることに自らの分野しか考えない視野の狭さが現れています。

coffee.gif§ それでは、起承転結は小説にはむかない?

起承転結では文章は書けないという人々の特徴として、起承転結で書くと作品が面白くなくなるという説明が多い。これはコンテンツと起承転結がごっちゃになった意見です。コンテンツが面白くなければ、起承転結がしっかり分かれていても面白くはありません。起承転結とはストーリーの構成要素の抽象的項目名にすぎません。こうした意見を主張する人は、自らの作品の起承転結をうまく対応して説明できないのではないでしょうか。

理解のために例として次の話をしておきましょう。

(問い)新聞のコンテンツは5W1Hでかかれます。「5W1Hでかかれた記事は面白くない」という意見は正しいか?
(答え)正しくない。5W1Hとは記事の情報伝達について含まれるべき構成要素の抽象的な項目の説明であって、個々のコンテンツの面白さとは関係がない。

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§  新規性の感受性不足からくる起承転結否定論

 

新規性は転で示されます。しかし転すなわちドラマチックではありません。

ドラマチックさは、転で仕掛けられます。しかしこの段階では読者はサスペンド状態になるだけであって、ドラマチックだと感じるわけではありません。

結で、その説明がなされて初めて「あ〜、そうか」とか「な〜るほどぉ!」という状態になります。このAha!度が高いほどドラマチックだったと感じることができます。その「思いもよらなさ程度」が大きければ大きいほどドラマチックさが生み出されます。

すなわち、ドラマチックさとは、転で常識から離れた事実や知識の組み合わせを提起された結果として、転と結が組み合わさることによってもたらされるものです。

特に文系の論文作成において、思想のクリアーさとか明確さが欠けてしまうものが見られます。その理由の一つには既知である他者の意見と新規に自分の手で発掘した事実を峻別する態度の不足が指摘されます。明治〜戦後の昭和の時代は欧米の知識へのキャッチアップの時代でした。英語やドイツ語が読解できれば、欧米図書の翻訳で学者という職業が成り立っていた時代です。

他人の仕事と自分の仕事を区別して論文を作成するのは骨の折れる作業です。だから、学会で提出される論文の多くに、結果と考察を分けないやり方が普通に行われています。すなわち「結果および考察」として論文を書く人が結構います。がしかし、これは研究論文としては本質的に言えばルール違反です。

先進国になればなるほど、このルールを守ることを強く要求されます。欧米の知識にただのりしてきたアジアでは他人の成果を自分のものとして発表することにあまり抵抗を示しません。結果と考察の峻別要求度は、国家の創造性支援を行う成熟度のバロメーターのひとつですね。

論文とは、あれこれよしなしごとをならべて書き連ねていればできるものではありません。論文には、新しく出てきた事実が必要です。論文作成で新規性を重要視しない人々には、起承転結など不必要でしょう。それは日常の発表内容が自分では論文といいつつ、総説を発表しているにすぎないことを示しています。

こうした人の行動の特徴は、次のような例でわかるでしょう。

  1. 広辞苑をひいたらこの言葉はこう書いてあったから、ここの意味はこうだ。
  2. Wikipediaで調べたらこう書いてあったから、ここの意味はこうである。

この行動は、これまでの常識を調べているだけであって、起承の部分のネタ調べにすぎません。「国立文書博物館で古文書を調べた結果こうだ」というのなら、新しい事実といえます。また、実験や試験をしたのならその結果は新事実と言えるでしょう。フィールドから自らの努力で得られた、他者がまだ発表していない知見が新事実です。

辞書頼りの人々が行う論拠展開で起承転結を議論すると、辞書がすべて正しいわけですからそこに書いてある内容以外は一切受け付けません。このような行動で、次のような展開が望めるでしょうか。

古典物理からアインシュタインは光の性質を加味して統一理論を作りました。さらに今の物理学は、宇宙を理解するための大統一理論に限りなく近づいています。

辞書がすべてなら、このような展開はのぞめません。辞書は過去の知見を整理したにすぎません。辞書の内容にあたらしい解釈を付け加えることが適切な行動です。起承転結をいつまでも漢詩の構成であるとしか考えないと、統一されたストーリー論にはなって行くことができません。

総説と論文の区別のつかない学者が多数いることも事実です。そうした人々の書く起承転結不要論には耳を貸す必要はありません。だまされないようにするには、その主張の中に、結果(転)と結論(結)との区別がついているかどうかよく見極めながら読み進めましょう。

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§  少女漫画をばかにする愚

 

日本では、少女漫画からテレビ番組をつくり、数多くのヒット作が生まれています。

日本だけでなく、韓国の冬ソナはキャンディキャンディの焼き直しです。盗作と声高に叫ぶアメリカのアニメ製作会社も手塚治虫の真似をしたことが知られていますし、ハリウッドのシナリオのいくつかに日本の少女漫画のキャラクター設定を少し変えただけのシナリオで映画作成されていることが知られています。

にもかかわらず、いまだに少女漫画のストーリーの卓越さを認めようとしない人々が数多くいます。文学作品を読んでいれば文句をいわないお母さんたちも、漫画を読んでいればしかる行動に出ます。

これらの行動は、自らの判断で優れたものを見抜く訓練がなされてこなかったことから出てくるものだと思います。羊羹はとらや、ハンドバッグはヴィトンなどブランド物など、だれかがつくったプロパガンダでしか動けない国民性は、きっと、学者達が欧米に追随するだけで精一杯で、創造する人や、新規の概念を生み出す人々を大事にしてこなかったところと、根っこが一緒のような気がしています。

国家の規模だけは追い越しているのに、世界からはどこかフランスより低く見られている原因のひとつに、自ら何かを生み出す人々を自国民が評価できないところにあるとおもいます。起承転結をばかにするレベルは根っこが同じジャンルの議論です。

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 基礎7 まず文章を書いてみよう

 

 

起承転結は単なる素養です。知っていればよいだけで、拘束されることはありません。

経験のある作家は、書き出しからこうした素養を意識しながら書こうとする意欲をそがれることなく文章を書き上げることができます。

「(いまは起の部分だから)この話のつかみはきっと人をひきつけるだろう」
「そろそろエピソードを入れておこう。弱い心の主人公が、強く変身するには、この脇役Bのいじめ行動はもっと劣等感に満ち溢れた徹底的な嫌がらせが効果的だ」
「ここらであまり目立たなかった脇役Aが、実はひそかに主人公を支援してくれていたお金持ちだったことをこの事件で明らかにしよう」
「形勢を一気に逆転させて、強い主人公が多くの人に名誉を回復できる流れをどうしようか」

この流れでおなじみのドラマをおもいだしませんか?そう、水戸黄門ですね。いいえ、キャンディキャンディを思い出したって間違いではありません。

 

では、初心者はこのパターンでつくればいいかというと、はじめて文章を書く人がよくやるまちがいがあります。

原稿用紙上に、まず起承転結の4つの空欄をあけて、そこに順番に書き込もうとするやりかたです。これはまず失敗します。

ふつうわれわれが何かを創作していくときには、ぼんやりとした表現したい動機があるだけで、最後の作品像はみえていません。だから起承転結の4つの空欄になにか書き込もうとしても何を書けばよいか筆が進まず、ほとんどすべての人が挫折してしまいます。こうした経験から、起承転結では文章は書けないと信じてしまう人がぞくぞく出てしまいます。

プロになるまでは、次のやり方をお勧めします。私は今でも次のようなやり方をとります。

言いたいことをまずははきだせ

さあ、起承転結の素養を活かす番です

タイトルをつける

文章の書き直しをするならこれまでの作業をすませてから

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皆、はじめはへたくそです。小さい頃にへたくそなのは愛嬌があります。年齢がたかくなるにつれて、世間体が出てきます。できるだけ早く取り組めば、恥ずかしさがそのぶん少なくなります。しかも若い方が、物覚えがよいし、忘れにくい。最近、強く実感する毎日です。

だから、書きながら勉強するというスタイルが最も効率よく上達する方法なのです。

たくさんの良い作品を見るのは大事です。しかし自分で書きながら見る人とそうでない人を比較すれば、自分で書く人のほうがはるかにその作品から多くのことを学んでいます。
たくさんのことを感じ、作者や監督を尊敬できるようになります。他人を尊敬できる人は、他の人々から、可愛がられるはずです。人生自体の楽しさも変わってきます。

もの書きのばあい、まず読者に「こうしたらびっくりするよなー」とか「こうしたら皆が面白がるぞ」という気持ちで突き進めばいいと思います。思った結果が出ないときには、はじめてこうした基本を勉強したりしようという気分になりますし、他の人の意見も耳に入るようになります。それでいいと思います。

いっぽう思ったとおりの結果が出れば、それは自信につながります。いつか来るスランプ時に基本を再び学べばいいのです。

さあ、とりあえず書くことからはじめよう。

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