コナミとMSX。当時(1984年〜1990年)のMSX事情を知る人には説明不要でしょうけれど、まさしく切っても切れない関係でありました。コナミという会社も今となってはいくつもあるゲーム会社の一つという感じですが、MSXにとってはキラータイトルならぬキラーメーカーでした。なんせもう出すソフト出すソフトそのどれもが他社とは一味違う輝きと完成度を持っていた一大ブランドでした。
…それはただ単にMSXの母体であるアスキーから発売されるソフトが(ファミコンと任天堂の関係と違って)どれもいま一つだったから、というのもありますけれど。
まあそんな事情はさて置いて、MSXをMSXたらしめたのはコナミなのです!と言っても過言ではありません。
であるからして、その第一弾とも言える「わんぱくアスレチック」はMSX史においても外すことのできない一本と言えましょう。もちろん今遊んでもその輝きは失せておりません。シンプルながら奥深いアクションゲームです。
ちなみに教育ソフトを装って発売されたのは事実ですが、その点についてはこちらを参照して下さい。
なにせ箱の裏にはいきなりこう書かれています。
勉強のやり過ぎはいけないよ。体力のある君、楽しいアスレチックの世界へ、さあ出発だ。
さあ、僕らも出発だ!
タイトル画面。「Atheltic Land」というのは海外版のタイトルです。日本のMSXでも英語のタイトル画面でした。海外でもソフト展開を行っていた関係で共通のROMを使用していたわけです。後のメガロム時代になるとMSX本体の国別コードを見てタイトルを変えるようなソフトも存在します(「悪魔城ドラキュラ」「エルギーザの封印(MSX1版)」など)。
今になって開発側の立場から考えると容量の関係で止むなくこうしていただけなのですが、この頃は国産パソコンの黎明期だったので「おぉー英語で大きく出てる!しかもカラーだ!さすが新しいパソコンは違う」などと当時8歳の少年(僕)は思っていたわけであります。
ジョイスティックとキーボードで押すキーを変えないとプレイできないってのも不便です。後に廃止されましたが、なぜかこの頃は他社でもこういうスタイルが一般的でした。
ゲーム画面です。ここから普通は右に進んでいきます。
主人公のわんぱく坊や(原文ママ)を動かして、愉快なアスレチック公園(原文ママ)を奥へ奥へ進んでいきます。色々な運動器具や遊技器具(原文ママ)が登場するので無事に(原文ママ)ゴールまでたどり着けるよう上手に案内してください。
ストーリーは取り立ててありません。しかし何か微妙な言い回しを感じませんか?無事にたどり着けるようっていうあたりがタダではすまない感じがします。
軽快なBGMとピョコピョコいうかわいらしい足音と共に進んでいきます。そうするとこのような遊具?があり、ジャンプと左右移動のみでわんぱく坊やを進めて行くわけです。
このゲームはスクロールはせず一画面単位で切り換えになります。10画面(下の「SCENE」」)進むと1ステージクリアです。二人プレイはミスするごとに交代というスタイルです。
で、池に落ちたり足を踏み外して落っこちるとズッコケて一人減ります。
箱の裏の説明には「わんぱく坊やは最初3人です。10,000点で1人増え、以降20,000点ごとに1人増えます。」
この時代のゲームに対してこのような指摘をするのはナンですが、坊やは確実に死んでますね。命の尊さをかみしめつつ再トライしましょう。
10シーンに来ると坊やが飛び跳ねて全身で喜びを表してクリアとなり、タイムボーナスがもらえます。
1画面ごとに切り替える、というのがこのゲームを成功させています。一画面クリアにかかる時間は長くても15秒くらいですから、次々にクリアする快感を得ることができます。
で、大いに指摘したいのがこのアスレチックの運動器具の数々ですね。
左からイガグリの落ちてくる道、魚の飛び跳ねる池、クリのはぜるたき火とハチ。
いずれに当たっても、また池にはまってもわんぱく坊やは一人減ります。
イガグリは人頭大です。痛いじゃすみません。
魚。「わんぱくアスレチック」と同時発売の「けっきょく南極大冒険」では魚は取ると点数になりましたが、この世界ではキラーフイッシュです。
ちなみに池にはまると
ここまで沈みます。
どう見ても底無し沼です。
坊やの頭のほうが大きいから引っかかったりして。
そしてハチとクリ。やはり死にます。凄いアスレチックです。愉快なアスレチック公園の実態は恐るべき殺人アスレチックだったのです。
このゲームは(スクロールしないため)携帯電話アプリにも向いていると思うのですが、「けっきょく南極大冒険」などと違って移植されていません。何か殺伐としているせいでしょうか。
(※プレイステーションとセガサターンの「MSXアンティークス」には収録されています)
先のほうに進むと、アスレチックは複合攻撃を仕掛けてきます。意志のある森のごとく坊やを殺しにやってきます。
ステージ3あたりからは要素の組み合わせで急激に難しくなりどんどん死んでいきます。特にこのシーン23は私もほとんど運任せです。ヘタなだけかもしれませんけど。
左の画面に戻ることも可能なので、タイミングを見て再チャレンジすることもできます。
と、まあここまでならただ単に「なんかヘンな、ハードの初期にはありがちなゲーム」で済まされるのですが、本作にはどうしても理解できない謎の要素があります。
コースの逆走ができるのです。
スタート画面からいきなり左に行くと、全体が左右逆になったステージが始まります。
左に行ってもシーン数は増えます。クリアもできます。
もっとも、ほとんどのステージは左右逆でも難易度は変わりません。
しかし、右から転がってくるボールだけはなぜかそのままなのです。
止まっていると死にますが、歩き続けているとボールが後から出てきます。その時なぜか避けたときに入る点数(50点)がボールが出てくるより先に入ります。
そのため総合的な難易度は下がります。なぜこんな要素を埋め込んだのか、その謎はいまだに解明されておりません。
わんぱくアスレチック最大の謎です。
色々書きましたけれど、この時代のゲームにリアルな設定を求めるのは酷ですし無意味とも言えます。
普通に遊ぶ限りは明るく楽しいゲームです。難易度の上昇が早いためやりこまないと先に進めないのがイマイチですが、当時のアスキー発売のゲームに比べると段違いの完成度を誇ります。ちょっと難しいのがスキ!という方向け。
でも逆走モードの存在やアスレチックにしては物が少なくたき火があったりするあたり、どこか屈折したものを感じるのも事実です。そんなこんなで「けっきょく南極大冒険」に比べるといま一つ知名度がありません。心のどこかに引っ掛かりを感じてしまう妙なゲームなのでありました。
私はこのゲームが初めてMSXと出会った思い出の作品です。この頃はMSXを持っておらず、近所の友達の家で遊ばせてもらいました。
メリハリのある背景、空のキレイなグラデーション、スプライトを効果的に使った滑らかな動きなど、今見ても完成度は高いと思います。同じアイデアを与えられても、こんな「触ってて楽しいゲーム」にするのは僕にはできないでしょうねー…。ああ、アスキーから出るゲームもこれくらいだったら。
思い出ついでにもう一つ言っちゃいましょう。このゲームを友達の家で遊んだんですが、彼の父親はソニーに勤めていたらしくソニー製品が溢れたモダンなお家でした。乾電池までソニーだったのを覚えています。もちろんMSXもソニー製でした。
でもいくつかあったゲームは全部裸基板だったんです。
正確にはROMのチップがいくつかあって、友達の彼は基板のソケットにそのROMを差し替えて遊んでいました。ROMを変えるたびにネジで固定していたような記憶がありますが、このへんは正しい自信がありません(そんなソケットが当時あったんでしょうか)。ともかくも、今思えばどう考えても父親が会社から持ってきたソレは不正コピーだったような気がしてなりません。彼の父親はどんな仕事をしていたんでしょうか。もし当時に帰れるなら、まずそこを聞いてみたいですね!ソニーから出ていないゲームもあったし。
ちなみに彼は一度ROMを逆に取り付けてテニスゲームをブッ壊していました。ザマーミロ。