第2章 雑菌を追い出そう
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お酒のつくりかた
かしこいお母さんだけがお酒の作り方を知っていた
むかしむかし、世界のお母さん達は、自分の家でお酒をつくっていました。ぶどうから、はちみつから、パンやおこめ、あわ、こうりゃん、ばなな、りんご、もういろいろなものから作っていました。
でも、おさけづくりはむずかしく、すぐに腐らせてしまっていました。でも良く観察できるお母さん達は、上手に作る方法を自分でみつけてしまいました。
じつは、上手に作っているお母さん達には、世界共通のお酒作りの秘密を自分で見つけてしまったのです。だからその秘密を学べば、だれでも上手に色々な原料からお酒を造ることができます。でも、その秘密は一つではありません。たくさんあったからとてもかしこいお母さん達の専売特許(せんばいとっきょ)となっていました。
酵母(こうぼ)って知っているかな。顕微鏡でないと見えないくらいに小さな生き物なんだ。お母さんがパンを焼くときにつかうドライイーストってあるだろう。あれは酵母が乾燥されて、ものすごくたくさん集まっているものなんだよ。
お母さん達のお酒づくりの秘密は、「酵母だけえこひいき」する方法なんだよ。料理した食べ物はすぐに腐ってしまうよね。それは酵母くらいちいさなほかの生き物(微生物;びせいぶつ)がたくさん増えて嫌なにおいや、おなかをこわすような物質を出すからなんだ。こういういやな微生物を雑菌(ざっきん)とよんでいる。
雑菌はとても強いんだ。酵母は弱いから、雑菌と一緒にいると負けてしまって腐ってしまうのがふつうなんだよ。
でも、酵母が最初にたくさんいると、雑菌に勝てるんだ。酵母は原料の中にある甘い糖分(とうぶん)を食べて、アルコールをだすんだよ。アルコールを出すようになったら、泡がでるようになって発酵(はっこう)を始めるんだ。アルコールには雑菌は弱くて、死んでしまうんだよ。
だからお母さん達は、くさらせないようにするため最初に酵母を増やす方法を秘密で知っているんだ。お酒を上手に作れるお母さんは、地元でも評判になるし、たまには他のひとのためにお金を貰って作っていたりしたんだよ。秘密を知っている娘さんも、ぜひお嫁にほしいとひっぱりだこだったんだ。毎日おいしいお酒が飲めるし、お金もうけができるし、およめさんはひっぱりだこだし、王様達とは仲良くできるから、秘密にするよね。
その秘密を教えてあげよう。
酵母はどこにいるかしっているかな。ひとつひとつは見えないからみたことはないはずだよ。見えないくらいに小さな生き物は、いちど空気中に浮かぶとなかなか降りてこないで飛んでいます。
でも特に酵母がたくさんいるところがあるんだ。それは酵母の餌になるもののあるところなんだよ。ぶどうの実がおちる畑の土、ブドウの実の皮の表面、麦やお米などの種のまわりや、畑の中。甘い果実のおちる畑の中。パン屋さんやお酒を作っている酒屋さんのまわりなどにいるんだ。
昔は今のように酵母を売っていなかったから、お母さん達は自然にいる酵母をうまく育て上げたんだ。酵母には嫌な条件じゃないけれど雑菌には嫌な条件をうまくつくったんだ。 そう。酵母をえこひいきすれば、お酒ができるんだ。
えこひいき作戦(その1)
酵母は乳酸(にゅうさん)やクエン酸などの濃度(のうど)が高いとき、自分もその環境は好きじゃないけど生きのびます。こういった物質を有機酸(ゆうきさん)といいます。乳酸があると雑菌は特に早く死んでしまうのです。原料の中に乳酸やクエン酸が入っていれば、酵母だけが生きのびて増えてゆきます。
乳酸は乳酸菌(にゅうさんきん)という微生物(びせいぶつ)が簡単に作ってくれます。乳酸菌は君のお母さんの台所にうじゃうじゃいるんだよ。それに、一晩で増えて、食べ物をすっぱくしてしまいます。他の雑菌が増える前に乳酸菌は早く増えて乳酸をつくってくれます。
乳酸菌を使った食べ物は、ぬかづけ、自然発酵パン、ヨーグルトなどがあるんだけど、その中に酵母は住んでいるんだ。米、麦、あわなどの穀物をお湯でにると特に乳酸菌が増えやすくなります。乳酸菌は温度が35℃くらいの高めの温度が好きです。その代わり、8℃くらいの低い温度になると増えなくなります。
パン生地(きじ)の一部をとっておいて次のパン生地に混ぜながら、ずっとパンを焼きつづける方法があります。こうすると、パン生地の中に乳酸菌と酵母だけが住むようになります。もちろんパン生地の中には乳酸がたっぷり含まれています。
酵母は乳酸があると雑菌をおさえて、増えるんだったよね。パンを焼くとどうなるかな。酵母も乳酸菌も熱で殺菌されてしまうんだ。すると、パンの中には雑菌はいなくなって乳酸だけが残る。この乳酸を使って、5000年前のエジプト人たちはビールをつくったんだよ。酵母は別に上手に作っていたんだよ。再現してみたらとても美味しいお酒でした。パンでビールをつくったんだね。
北のほうのヨーロッパの人たちは、気候が冷たく、充分な乳酸ができるとは限らなかったので、寒い冬にお酒作りをしました。寒いと乳酸菌や雑菌は増えにくいから、酵母が優先して増えたんだ。
寒づくりといって、日本のお酒も昔は寒い冬につくりました。それでもやっぱり乳酸をふやしてからお酒をつくるんだよ。
琉球の泡盛(あわもり)というお酒は、クエン酸をたくさん出すカビの、黒麹(くろこうじ)をつかって、酵母を増やしています。クエン酸が雑菌がふえるのを抑えているんだね。
乳酸を昔の人がどのように手に入れたかというと、通常の食品は温かくして一晩置くとすっぱくなってしまいますが、これは乳酸ができているのです。ヨーグルト、すっぱくなった焼きオニギリなどをどぶろくづくりに使うことがあります。
乳酸の代わりに、お酒を仕込み用水の代わりに使うときがあります。神代の昔に夏に作る酒はこのアルコール仕込み酒でした。また古代エジプトの新王国時代の壁画に描いてあるのはこのアルコール仕込の方法でした。
この場合には、アルコールが乳酸の変わりに雑菌を退治するのです。 4 %以上のアルコール濃度なら殺菌力が出始めます。乳酸がなければビールを仕込み用水に使うという手はありますね。
えこひいき作戦(その2)
草や木の葉とか木の皮などをすりつぶしたり、煮出し汁(にだしじる)を作ると、植物がその中に作る物質を雑菌はきらうんだ。植物は、細胞を傷つけられると、病気になる微生物が身体に入るのをふせぐいろいろな物質を作ります。ワインは身体によいなんて言っているポリフェノールなんかもその一つなんだよ。
ビールには、ホップの煮出し汁が入っています。ホップは朝顔みたいにつるで長く伸びてゆく植物です。ホップの花にはとてもよい味の苦味があるんだけど、それがとくに雑菌を強く抑えてくれるんだ。
昔の人たちは、色々な草や木を薬に使っていたから、お茶やお酒にも混ぜて使っていたんだね。特に、ローマ時代のヨーロッパでは、ローマ人はワインを飲んでいたけれど、よいぶどうがなかったバイキングの人たちはライ麦や大麦からビールを作ってのんでいたんだ。その頃は色々なハーブを煮出してさまざまな種類のビールがあちこちにあったんだよ。バイキングの人たちはハーブのことをグルートっていっていたから、グルートビールといわれていたんだ。
ローマ人はバイキングのビールづくりを馬鹿にしていたけれど、穀物から酒を作る技術はワイン造りより複雑な工程が必要だから、バイキングのほうが酒作り技術は進んでいたかもしれないね。
この頃のヨーロッパの人たちは、パンのほかに、麦をビールにすることで酵母と乳酸菌が作るビタミン類を食べる食事の感覚でのんでいました。ペストという病気の微生物が水にいても、ビールにすればペスト菌は死んでしまうから、汚い水しかなくて飲み水に困るときでも、ビールをつくることで安全な水にできたんだよ。昔は、子供達もビールを飲んでいました。
今のビールがホップしか使われないのは、ヨーロッパの人たちが植民地を求めて大航海し始めてから爽やかな苦味と、腐りにくい性質から、他のグルートがすたれてホップになってしまったんだ。長い航海中に腐らないようにするため、ビールをものすごく苦くしていたんだよ。
日本でも、カラハナ草というホップがあって、その煮出し汁からどぶろくを作ったりする地方があるんだ。ビールが伝わってきたからではなく、その地方のお母さん達は自分達で工夫してつくってきたんだよ。
植物は気候がちがうと、そこに生えている植物もちがってくるだろ。だから今でも世界中でお酒作りには、ホップ以外にもその地域で殺菌力があって身体に毒にならない味のよい植物が色々選ばれているんだよ。お酒は、その地域でしかできないものが多いし、のみ方も地方で特徴のある習慣で飲まれることが多い。 お酒作りは文化なんだね。
えこひいき作戦(その3)
酵母だけえこひいきする方法その3。でんぷんの粉でパン生地みたいなものを作っておいておくと、酵母とコウジカビが生き残るんだ。これを餅麹(もちこうじ)といいます。フィリピンやタイ、朝鮮、中国などの人たちは、このような餅麹から上手にお酒を作ります。
台湾には、なかに植物をすりつぶした物をいれて餅麹をつくります。殺菌力のある草をつかう煮出し汁と同じ原理だね。ただ、お餅みたいに水分をすくなくすると、もっと酵母をえこひいきしたことになるんだよ。
でんぷんの粉でお餅みたいにすると、でんぷんの粒々(つぶつぶ)の間に小さな水の部分ができる。目に見えないくらいのコップがあるのと同じなんだ。でんぷんをこねるとすぐに乳酸菌が増えてきます。乳酸ができてくるんだけど、水が少ないから、すぐに乳酸の濃度(のうど)は高くなってしまう。
普通のコップの中では、なかなか乳酸濃度は上がらないから長い時間殺菌力がでてこないんだ。ところがミクロのコップはすぐに高い乳酸濃度になってしまうね。すぐに雑菌を抑えてくれるんだ。
餅麹のなかでは、乳酸につよい酵母やコウジカビなどが生き残って、乾燥させると、胞子(ほうし)というものを作っていつまでも生きた状態で保存できるんだよ。
でんぷんを煮ると、どろどろの糊(のり)みたいになるね。この状態では水分が多すぎて、ミクロのコップにはならないんだ。だから、餅麹は生のでんぷんを使うことが多いんだ。
お酒にするには、まず、穀物を煮て、でんぷんが分解できるようにしたモロミというものをつくります。煮れば殺菌されるから、モロミには雑菌はほとんどいません。冷やしてすぐに、モロミの中に餅麹をバラバラにして入れると、コウジカビと酵母だけが生きているので、発酵が始まります。
でもよくばって、たくさんのモロミをつくってちょびっとしか餅麹を入れないと、腐ってしまうのです。次にその秘密を説明しよう。
えこひいき作戦(その4)
大数(たいすう)の法則をおぼえてください。これでもれっきとした醸造学の学術用語です。
「ある微生物だけを増やしたければ、それを大量に入れなさい」という法則です。
ビーカーとか壺(つぼ)のなかに、お酒の原料になるモロミがはいっています。酵母と雑菌が少数はいっているとするとどうなるでしょう。どちらの微生物も、モロミの中のえさを食べてふえてゆきます。酵母は2日に1回増えるくらいですが、雑菌は3−4時間に1回増えてしまいます。酵母が2倍になるときに雑菌は約6万6千倍も増えてしまいます。必ず雑菌が勝ってしまうね。
でも、最初から雑菌の100万倍の酵母がいればどうなるでしょう。酵母は増えませんが、最初からものすごい勢いでえさをたべてしまいます。雑菌が増える間にどんどんえさがすくなくなってしまいます。雑菌は増えたいのですが栄養不良で増えることができなくなるのです。
それに酵母が餌を食べると、炭酸ガスとアルコールが出てきます。酵母は乳酸もだします。炭酸ガスもアルコールも殺菌力があります。だから、酵母が増える前でも、雑菌がふえられなくなってしまうんだよ。
お酒をしこんで、炭酸ガスの泡がモロミの表面をおおうようになると、だいたい安心です。泡が盛んに出るようになったときを湧きつき(わきつき)といいます。
安心して、発酵がはじまるようにするために、餅麹を使って少量の酒母(しゅぼ)というものを作ります。酒母は最初のお酒です。モロミ量が少なければ、すぐに炭酸ガスはモロミの中に満ちあふれそれいじょう溶(と)けない状態になってしまいます。溶けない炭酸ガスがあわになるわけです。アルコールも乳酸も濃度がはやくあがります。雑菌がふえないようにするバリアーが早く出来上がるのです。
逆に、最初の酵母数が少ないと、大量のモロミの中では、部分的に酵母が勝っているところと、雑菌が勝っているところができてしまいます。でも雑菌を抑えるバリアーが充分にできていないのですぐに雑菌が勝ってしまうのです。
一度にたくさん仕込むとくさりやすいので、たくさんのお酒を仕込むときには段仕込(だんじこみ)という方法をとります。段仕込とは階段を上がっていくように酵母が増えたら、それに新しいモロミをつけたして、少しずつ増やしていく方法を言います。
段仕込をする理由は、大数の法則を利用したいためなんだ。
酵母を添加する量は、清酒でもビールでもワインでもほぼ同じくらい必要で、安全な発酵をさせるためには 1 ml 中に 10 の 6 乗個以上の酵母を添加します。
必要な酵母濃度は後で述べるファーメンテーション・ウォールの作り方で異なります。充分な乳酸濃度や、充分なホップ添加量などがあったとしても 10 の 4 乗程度まで下げられるくらいです。
原料の種類や、麹のでき方でちがいますが、 8 〜 10 ℃くらいの低温でお酒を発酵させるとき、酵母が分裂して 2 倍になる期間はおおむね3日くらいかかります。酵母が増殖して最終的に 10 の 8 乗以上を目指すわけです。
室温で発酵させる場合には、雑菌の増殖速度が速いので負けないように酵母の添加量は多めでなくてはなりません。 日本酒の場合、酒母を添加して沸きつくまでの間、15℃を維持します。18℃をこえると雑菌の増殖速度が勝ってきますので、酒母の酵母の純粋度が低いと発酵が不安定になります。高い温度で発酵させると、酵母はエステル香というにおいを出します。エステルは華やかな香りですが、発酵温度が高くなるほど産膜酵母などが増えてきて、酒としては下品な酢酸エチルエステル(セメダイン臭)という物質をつくりはじめます。 比較的低温に維持してじっくり発酵させるというのは上品な酒造りの定法です。
一般の人は研究所で酵母をカウントできる環境にありませんから、酵母添加後旺盛な発泡が始まること(湧きつき)で発酵が成功しているか失敗しているかを判定するのがふつうです。
えこひいき作戦(その5)
どうやら、麦や米の原料にたいして、水を多く入れすぎてはいけないことはわかってもらえたかな。
世界のお母さん達は、だいたい入れた原料にたいしてヒタヒタに水をいれてモロミにします。ヒタヒタとは、壺にいれた原料の米などを平らにならして手のひらをおしあてて、手の甲が隠れてしまうくらいなんだ。これにも理由があるんだよ。
一つは、できたお酒にはできるだけアルコール濃度がたかいほうがおいしいのです。だから原料に対して水は少なめにしたい。
次に水が少ない方が早く雑菌のバリアーができる。お母さん達は知らないでやっているだろうけれど。
もう一つには、発酵の途中で水から原料が飛び出して、島のような状態になったままにしてしまうと他のカビが増えてしまいます。島になっているところは、乳酸もすくなく、酸素が好きな微生物が酵母以外にふえてしまうんだ。だから常に水が原料をおおっていないといけない。日本酒だと、初めにこうじは浮いてしまいますが、ばらこうじなのでしばらくするとひとりでに沈んでしまいます。
ワイン作りでは、ブドウの皮が浮いた状態で長くおかないようにするため、長い棒でお酒の中に押し込んだりしています。最近は自動で上からお酒のシャワーがかかるようにしてあります。他の微生物が増えないようにする同じ理由なんだよ。
上手にお酒を作るには、どんなえこひいき作戦があったかな。
- 雑菌がふえるのをおさえる乳酸(有機酸)を使う。
- 殺菌力のある植物を使う。
- 餅麹をつくり、雑菌のすくない酵母種をつくる。
- 圧倒的多数の酵母を添加する(10^6個/ml以上になるようにする)。
- 酒母を作って段仕込でお酒の量をふやしてゆく。
- 原料に対してヒタヒタの水の量にする。
えこひいき作戦 (その6)
受験前にお母さん達は、お兄ちゃんに元気になってもらうために、ビフテキにカツレツを食べさせます。敵に勝つ!テキにカツ、くらい元気になってもらおうというわけですね。お父さんには滋養強壮栄養ドリンクを飲ませます。
酵母にも滋養強壮ドリンクに当たるようなものはないのだろうか、という疑問がでてきますね。それも他の雑菌には効かずに酵母だけ元気になるやつです。
実は、発酵液中には乳酸がたくさん分泌されてきますが、ある濃度以上の乳酸はほとんどの菌を押さえ込みます。酵母だって同じです。しかし、ブドウ糖(グルコース)や麦芽糖(マルトース)があれば、酵母だけは乳酸の中で生きのびてゆくのです。
グルコースやマルトースのことを発酵性糖と呼びます。発酵性糖はお酒の中で酵母をえこひいきしているのです。
他にもあるんだよ。草や木を燃したあとに草木灰が残ります。燐酸やカリウムが豊富な肥料です。草木灰は水に溶けるとアルカリ性になります。
草木灰を発酵液のなかにいれるとどうなるでしょうか?酵母にとって肥料成分があるから栄養として機能することは予想できます。確かにそういう意味を持つことが解っています。さらに不思議なことに、何も入れないものより雑菌が生えにくい性質があります。
神代の日本には灰(あく)もち酒という酒が広く飲まれていたようです。最近まで九州の熊本や鹿児島では灰もち酒がつくられていました。
古代エジプトでは素焼きのビール壺を洗ってリユースしていました。 高い気温の中で回収されてくるビール壺はさぞかし雑菌まみれ、カビまみれだったと推測されます。このビール壺でそのままビールを発酵させると腐敗は確実。だから洗わなければなりません。来世でも間違ってはいけない大事なポイントだから、古代エジプトの人たちは壺の中に手を入れて洗浄している姿を壁画に描いています。
回収されたビール壺は水で洗うだけだと、糖分は洗い流せてもたんぱく質の汚れがこびりついています。ですからアルカリ性の草木灰を壺内の洗浄に使っていたようです。糖分もたんぱく質も洗い流せて、残った灰分は酵母をえこひいきできるわけです。アルカリ性でしばらく置いておけば殺菌も出来ます。
他の地方でも、仕込んだばかりのモロミに木の燃えさしを入れて火の神様にお酒に悪さをする悪霊がつかないようにおまじないするというような地方もあります。 糖分をつくるアミラーゼの使いかた
乳酸の害を知っておこう
でもこれだけではまだ上手なお酒はできないぞ。酵母と乳酸、酵母とアルコールの関係を良く知っていないと酵母も乳酸やアルコールで自分自身がやられてしまうことがあるんだよ。
熱帯から温帯といわれる地域では、気温が高いから、乳酸菌がふえやすく、乳酸菌がつくる乳酸を使ってお酒作りをする方法がふつうになります。だから、一般にお酒作りを始めると必ず乳酸との付き合い方が大事になるんだ。
酵母も雑菌とおなじように乳酸で増えることができなくなります。しかし、発酵中のお酒の中に糖分(とうぶん)があると、雑菌は死ぬけど酵母は増えることができるんだよ。
酵母は、自分のまわりの液体のなかにアルコールが増えれば、それに応じて自分の体の皮膚(ひふ)にあたる細胞膜の物質の割合を変えてゆきます。細胞膜のパルミチン酸とかオレイン酸とか名づけられた物質の割合をかえて、外の物質が直接からだの中に入らないようにして、細胞のなかを一定に保とうとするんだ。こういった物質を新しく作りかえるにはエネルギーが必要なんだけど、そのエネルギーは甘い糖分からもらうから、酵母は乳酸やアルコールの中で生きているんだよ。
乳酸やアルコールのある中で、糖分がなくなればどうなるかな?そう、酵母は死んじゃうからね。
なぜ、しつこく言うか。君達がもしお酒を発酵させるチャンスがあったとき、すぐこのことを忘れちゃうからなんだ。
(問題)
A君は、発酵実験をしていました。発酵も終わりのころ、かめのなかの泡がおさまってきたけど、帰りの時刻だったので、次の日にモロミを入れることにして帰ってしまいました。次の日、麹を入れたから、糖分は供給されるはずです。はたしてうまく発酵が続くでしょうか。
(問題の解答)
糖分が切れてしまった時点で、酵母が乳酸とアルコールによって死んでしまって、麹を入れれば甘くなるだけで発酵は続きません。すぐにその糖分を食べる雑菌が増えてきてお酒はくさってしまいます。
泡がおさまってきたということは、糖分がなくなってきたサインです。
発酵温度をはげしく変えたりしたときも、そのたびに細胞膜の物質を取り替えなければいけないから酵母には負担がかかります。そのぶん余計なエネルギーが必要になってしまいます。
雑菌が多いときも、雑菌のはなつミサイルを防御するために細胞膜の性質を変えなければなりません。こうしたときは浮いてくる泡の中に酵母がねっとりくっついてくるんだよ。酵母の細胞膜が油のような性質に変化した証拠なんだ。酵母も大変だね。
でも君達ができることは、えこひいきすること、糖分を切らさないようにすることしかできないんだよ。
酵母には、発酵が終わるまで、増えたり、生きていったりするための糖分を与えつづけてもらわないと生きていけない。絶対に糖分を切らしてはいけないんだ。
日本には、酒作りの杜氏(とうじ)さんという、プロのお酒作りの技術者がいます。杜氏さんは、この糖分を切らさないように全力でお酒を観察するんだ。魚つりをするときの浮きと同じ原理のガラス製の浮き子をつかって糖分をいつもチェックしています。糖分が増えれば、酵母の元気がなくなっているかもしれないし、へれば酵母が死んでしまうかもしれないだろ?
(問題)
段仕込でお酒を増やしていきたいのですが、糖分の入った原料(モロミ)を次に入れるタイミングはいつか?
- 泡が終わり始めたころ
- 発酵が進んでいるが泡がまだ元気に出ているころ
- 完全に泡がおさまってからすぐに入れる。
泡が終わり始めた頃は、糖分が少なくなってもう酵母も終わり始めているのです。完全に泡がおさまった状態は酵母も終わっている状態です。酵母が死んじゃった状態で次のモロミを入れて、乳酸とアルコールをうすめたら、雑菌が増えますね。解答はbです。
原理だけ知識でわかっても、実際の場面でその原理がいかせるには、経験からくる知恵がひつようなんだよ。だから、原理を知っている君より、原理を知らないでもいつも作っている5000年前のお母さんたちのほうが上手にお酒を作ったはずです。
糖分の準備の仕方の違いを知っておこう
ブドウやその他の果実を搾(しぼる)ると、果実のジュースができます。この中には糖分がはじめから入っています。だから果実のジュースなら純粋の酵母がたくさん添加されれば簡単にお酒になってくれます。
ブドウの実をビンの中ですりこ木のような棒でつくと、実がつぶれます。そのままにしておくと、ブドウの皮についていた酵母が増えてきて発酵を自然に開始します。ブドウには有機酸が多いから、発酵の失敗は少ないんだよ。
ワイン用のブドウは、乾燥(かんそう)した砂漠に近い場所で栽培(さいばい)されているから、日光がよくあたり高い糖分のジュースになります。だからこういった地方では良いワインができます。日本で普通に食べる甘いフルーツのジュースだけでは、糖分が低めのためにアルコール度が低くなってあまり美味しい酒にはなりません。
でも、ビールや清酒の原料は、麦やお米です。でんぷんばかりで、糖分はほとんどありません。どうやっているのでしょうか?
麦の種を畑にまくと、水をすって、芽を出す準備を始めます。でんぷんを溶かして糖分をつくるアミラーゼという酵素(こうそ)を種の中に作り始めるのです。このままにしておくと、やがて葉っぱが出てきて、でんぷんがぜんぶ麦の葉っぱの成長に使われてしまいます。
種から根っこだけ出て、まだ葉っぱは外に出ていない頃に、熱風や天日でかわかすと麦芽(ばくが)ができます。形は麦とそっくりですが、麦芽の中にはアミラーゼと、ぼろぼろになり始めたでんぷんが入っています。
麦芽を皮ごとすりつぶして、水と一緒に鍋にいれて火にかけます。温度計で40℃くらいで一度火加減を調節して20分ほどおいておくと、酵母の身体を作る材料のアミノ酸が溶け出してきます。もっと火加減を強くして70度くらいにすると、鍋の中の液はなめてみると甘くなってくるのがわかるよ。そのまま30分ほど温度を保っていると、麦芽の中のでんぷんはほとんど糖分になっています。
麦芽の皮を布などでろ過した液を麦汁(ばくじゅう)といいます。普通は麦汁はアルコールを作るには糖分の濃度が薄いので煮つめた液にします。
ちょっと知っとくといいかな。麦汁を完全に煮つめると色は少し茶色だけど水あめができます。この水あめが酵母のエネルギー源で、アルコールになる原料なんだ。
この麦汁に酵母をいれるとどうなるかな。ビールにすぐにはなりません。いれる酵母に雑菌が多いとくさります。雑菌をおさえるホップがはいってないし、酵母が食べてもありあまる糖分があるから、雑菌もいっしょに増えることができるのです。
ビールを造るには、麦汁にホップをいれて煮出し汁をつくります。これに酵母を加えて初めてビールができます。
ビールづくりでは、最初の麦汁の中に、発酵が終わるまでの糖分を準備してしまいます。糖分がないために酵母が死んでしまうことはありませんが、有り余る糖分があるために、最初に入れる酵母(酒母)に雑菌が多いと腐りやすい欠点があります。
ビールで雑菌をおさえているのは、ホップだね。雑菌バリアーが乳酸じゃないから,発酵が終わったとき大部分の酵母は生きていて次の発酵に使うことができます。
日本酒づくりでは、最初から糖分をたくさん準備するのではなく、発酵とちゅうにアミラーゼをつかいながら糖分もつくっています。この方法はビールづくりより雑菌がふえにくいのですが、糖分が切れてしまったら発酵が止まってしまう欠点を持っています。麹の入れかたがとても大事な技術になってきます。
発酵の最初に糖分がないと酵母は最初からつまづいてしまいます。ビールや果実酒は最初に多量の糖分があるからこれから述べるような配慮は必要ありませんが、デンプン質から作る酒は糖化と発酵が平衡して始まる場合には、最初の糖分不足に見舞われることが有ります。日本酒ではもとを入れる前に、水こうじという処理をします。早めにこうじだけ水に入れて糖化だけ先行させるわけです。
韓国のマッコリ作りでは、最初に糖分の補給のためにリンゴをきざんで入れることがあります。リンゴの風味をつけるためだけではなくて、酵母の増殖のために、入れるタイミングに意味があるのです。
古代エジプトビールでは、最初に糖分の高いデーツジュースを入れたりして造りました。
日本酒では、雑菌を抑えるのは乳酸だね。だから発酵が終わったら酵母は元気がないんだ。それに酒かすが発酵液の中にあるから酵母だけを取り出せません。次の発酵には試験管に純粋培養した新しい酵母から酒母をつくります。
最近、「融米作り」というつくりかたが、日本酒の中ででてきました。ビールづくりのように先に糖分の液をアミラーゼを添加することで作ってしまおうとする方法です。でもきっと、発酵途中で沈殿した酵母をぬいて、すぐに水で洗わないと、酵母を次の発酵に使うことはできないでしょう。発酵が終わるまで待つと、糖分がなくなっているから、残っている乳酸によってかなりの酵母は死んじゃっているでしょう。
ビール造りでも酵母が出した乳酸成分があるために、発酵終了時には、採取した酵母は直ちに水洗いします。ビールと同じような酵母の使いまわし方をすると「融米づくり」ではきっと必要な生酵母数が足りずに発酵初期に苦労することはあるでしょうね。
フルーツのジュースを使ってお酒をつくるのとちがって、麦や米のような穀物(こくもつ)からお酒を造るためには、でんぷんから糖分を生み出す料理の作業が必要なんだよ。糖分を作るために、煮てやわらかくしたでんぷんに作用させるアミラーゼという酵素が必要だったね。
実は、麦芽のほかに、もう一つ重要なアミラーゼをつくる原料があります。お米とか麦、マメ類などを煮てでんぷんをやわらかくした後、コウジカビというカビをはやした麹(こうじ)です。
アミラーゼは、このコウジカビが体の外に出します。自分が生きていくためにでんぷんを分解しようとしているのを、人間が酵母をいれて、お酒にしているんだ。
日本酒では、コウジカビを生きたまま酵母と一緒にモロミにいれて発酵させます。コウジカビは麹を作るときに蒸したお米の中にカビの根っこを入りこませてお米の粒の中にもアミラーゼをたくわえています。「はぜこみ」といっています。
アミラーゼは発酵中にかなりのスピードで減っていくから、最初に一度にアミラーゼをモロミのなかに入れても、すぐにアミラーゼの量が減っていき糖分がたりなくなります。酵母のピンチになるわけです。だから、日本酒ではアミラーゼをできるだけ平均して出していきたいから、「蒸したお米を櫂(かい)という棒ですりつぶしてはいけない、麹のアミラーゼでお米をとかしなさい」と教えています。米粒をすりつぶすと、麹になった米のなかに入っているアミラーゼも一緒にすりつぶされて、液の中にいっぺんに早く出てしまうからです。アミラーゼで麹の米表面をゆっくり溶かしていれば、米の内部にあったアミラーゼが長い間平均的に液中に出てくるのです。
生きたコウジカビと一緒に、はぜこみのある麹を使うことで、長い期間アミラーゼが発酵液の中にあります。そのおかげで、いつまでも糖分が供給されて、日本酒は世界のお酒の中でもアルコール度23%といういちばん高いアルコール度のお酒ができます。これは素晴らしい技術なんだよ。
ただ日本の酒屋さんは日本酒が世界一だと思っていて誤解している所があります。ビールづくりの方法ではぜいぜい4〜5%のアルコール濃度にしかならないと信じている人が多いんだ。日本の人がこれより濃い濃度のビールが好きでないから商品がないだけであって、世界には、ドッペルとかトリペルというアルコール濃度が 16 〜 17 %のものがあります。
約3000年前のエジプト人は麦芽を完全な粉にしてしまわずに、粗(あら)い粒々の状態の粉にして使っていました。発酵期間の真中あたりで、へらで麦芽をすりつぶしてアミラーゼを新しく液の中に入れる方法を考え出していたんだ。はぜこんだ米の麹を使うという技術に似ているね。古代のエジプト人もすごいね。
コウジカビはアスペルギルス属というカビだけどたまにカビ毒をつくるものがあるからね。日本であま酒用に売られているカビは、人間が選んできた無毒のものだから安心していいよ。
あ、蒸した米にコウジカビを入れるとあま酒になります。そのまま酵母をいれておくとどぶろくという酒が出来上がります。どぶろくを布でしぼると清酒が出来あがります。
市販されているようなおいしいお酒にするには、発酵の様子をみながら麹と蒸米をいれるタイミングが重要になります。モロミのかき混ぜ方も、できてくるお酒の品質にかかわってきます。
お酒にするにはここで知った知識で十分です。だけど、おいしいお酒にするには、たくさんの経験をつんで上手になってゆくんだよ。すこし作り方を変えれば雑菌を含めたお酒の中で生きている微生物の種類が大変変わってしまいます。それはお酒の味をずいぶん変えてしまいます。
微生物の種類だけでなく、酵母だけでも育つ環境が違うとちがう味や香りを出すようになります。
ルールがわかれば皆はサッカーができるだろう?でもプロのサッカー選手のように上手になるには、たくさん経験と練習をしないといけないね。お酒作りもおなじなんだよ。良いコーチがいて原則を教えてくれれば、早く上手になります。
昔、上手にお酒をつくれたお母さん達が、地域の人たちに尊敬されたことがわかるよね。
前章は作る順番を決めている原則を説明しています。次章はお酒の社会学、すなわち大人の人間学をお酒の視点をとおしてみています。
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