1985年03月出向解除となり現在の(株)登米村田製作所から東京支社へ帰った事を、幼なじみの「菊池よし子さん」に電話連絡した。
1980年(昭和55年)6月に開催された「銚子市立第三中学校・第6回卒業生同期会に何故参加しなかったのか叱られた。実家に兄夫婦が住んでいるにも関わらず、開催案内未着である旨連絡した。その時、小学校6年2組クラス会開催を約束した事を思い出す。
 (株)村田製作所を定年退職したら想い出多き「飯沼小学校6年2組:伊藤先生を囲む会」を開催するための住所録の作成準備~開催までを約束した。しかし、時は既に遅かった。
1990年子供の日に菊池よし子さんは、54歳の若さで天国へ旅立っていた事を知り涙が止まらなかった。ご免ね!! 会いたかったよ!!。おくれ時計を二人で歌いたかった。
坂本禮子さんと遠刕トメ子さんに菊池よっちゃんの思いを話したら喜んで引き継いで下さった。
そんな思いに火が付いたのは、2002年7月:母の法事で銚子へ行き「そば処:甚作」にて昼食中に、同年8月10日に「第三中学校3年3組のクラス会」が開催される事を知り飛び入り参加をお願いした。スロバキアから帰国したばかりの石川晃弘君も成田国際空港から参加した。
そこには、飯沼小学校卒業・6年2組同級生が8名もいるではないか。早速、伊藤先生を囲む会を準備中の話をし、セピア色した想い出の卒業記念写真を見せると誰もが大賛成であった。

 飯沼小学校6年2組48名の住所録が完成したのは、2002年の晩秋であった。
居住地確認のため「クラス会開催計画案」を郵送したが、15通が居住不明で返送された。
情報通の幼馴染み「小神野久枝ちゃん」に相談した結果2002年12月の暮れには解決する事が出来た。開催案内発送準備のため開催場所の選定をする必要があった。富張久四郎君他3名にて曉鶏館や銚子プラザホテルとの折衝をお願いした。
早速「飯沼小学校第7回卒業6年2組・伊藤先生を囲む会(2003年3月15日開催)」の開催案内を発送。想い出多い犬吠埼燈台近くの”曉鶏館”へ53年振りに帰港する事が出来ました。
しかし、第1回開催日の1週間前(3月7日)に岡野禮子さん(旧姓=坂本)が「参加回答はがき」を残して突然天国へ旅立った。今でも哀しく涙が出て来ます。
以来、飯沼しぶき会開催日には、必ず「菊池よし子さん:坂本禮子さん:遠刕トメ子さん:富張久四郎君」のお墓参りを欠かさず続けています。

 第3回・開催からは、飯沼小学校第7回卒業生同期会と位置づけ、会の名称を「飯沼しぶき会」として15年の歳月が過ぎ去り現在に至っています。
【この続きは、飯沼しぶき会の生い立ち】をご覧下さい(クリックすると移動する)

同窓会開催に当たりご尽力頂いた亡き同級生のご冥福をお祈り申し上げます。  合掌

  石毛 よし子 さん(旧姓=菊池)

  岡野 禮子 さん(旧姓=坂本)

 渡辺 トメ子 さん(旧姓=遠刕)

     富張 久四郎 君